柳美里著『JR上野駅公園口』を読む

 本書は、2020年の全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞した作品である。全米図書賞は、アメリカで最も権威のある文学賞のひとつと言われている。
 僕は柳美里さんの作品を読むのは初めてなのだが、この主人公を通して描くテーマは、何とも重い重いテーマである。
 読了して2日間ほど、ブログを書く時間を惜しんで、繰り返し抜粋再読したほどである。

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 主人公は、福島県相馬郡(現在の南相馬市)で、家族を支えるために出稼ぎに明け暮れ、1964年東京オリンピック前年に上京し、東京で出稼ぎ労働者として働き続けて60歳で故郷に帰省。しかし、その7年後には再び上京してホームレスとなった男性だ。
 「不意に雨が落ち、コヤの天井のビニールシートを濡らす。雨が、雨の重みで落ちる。生の重みのように、時の重みのように、規則正しく、落ちる。雨が降る夜は、雨音から耳を逸らすことができず、眠ることができなかった。不眠、そして永眠──、死によって隔てられるものと、生によって隔てられるもの、生によって近付けるものと、死によって近付けるもの、雨、雨、雨、雨──。」
 このように、上野公園(正式名称は上野恩賜公園)のひと隅に、ホームレスとしてひっそりと社会に遠慮しながら、生を維持している70歳を過ぎだ男性なのである。


 この主人公を通して、高度成長時代を社会の底辺で支え続けた出稼ぎ労働者、故郷の地域共同体からも切り離された「居場所のない」者の生を維持するだけの生き様、戦後、象徴天皇となっても、皇室の行幸啓のたびに住んでいる小屋を撤去されても、無意識のうちに御料車に手を振ってしまうほど日本人の天皇家への敬いと思いの呪縛などを、JR上野駅公園口にある上野恩賜公園を舞台に、物語は公園を訪れる市井の人たちの会話の世界を織り交ぜながら、市井の人たちという分類にも入らない「居場所をなくした」人たちの世界を描いて、この重いテーマを読者に問いかけている。

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 少し物語の内容に触れてみよう。
 主人公は昭和天皇と同じ1933(昭和8)年に生まれている。祖先は今から200年ほど昔の江戸後期、血の滲むような苦労をしてはるばる加賀越中から土地を求めて移住した。そこの微々たる田圃では家族を養うこともできず、東京電力原子力発電所も、東北電力の火力発電所も、企業の工場もなかった時代の青年期から、小名浜漁港に出稼ぎに行ったり、北海道の昆布刈りに出稼ぎに行ったりの生活。
 そして昭和38年から、東京オリンピック建設需要に沸き立つ東京で、その後の高度成長期も出稼ぎ労働者として、故郷に帰るのは盆暮の2回だけといった生活をしながら、日当は地元で得られる賃金の3倍から4倍で、残業は2割5分増しで仕送りのために働き続ける。
 そんなある日、浩宮徳仁親王と同じ昭和35年2月23日に生まれたから、浩宮の一字をもらって浩一と名付けた息子が21歳の若さで突然死。
 結婚以来37年間、妻と暮らしたのは全部合わせても1年もなかったほどの出稼ぎを、60歳でやめて故郷に帰り、コツコツと妻が貯めたお金と国民年金で安心して生活出来ると始めた7年後、2軒隣の法事で酔って帰って寝込んでしまった翌朝、隣で妻は突然亡くなる。
 就職した孫娘が心配して一緒に住んでくれるが、そんな生活から逃れるように当てもなく置手紙をして出稼ぎで暮らした東京に戻り、上野公園のホームレスの一人となる。

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 「昔は、家族が在った。家も在った。初めから段ボールやブルーシートの掘っ立て小屋で暮らしていた者なんていないし、成りたくてホームレスに成った者なんていない。こう成るにはこう成るだけの事情がある。」と、高利貸しから逃れて蒸発した者、刑務所から出所したが家族の許に帰れない者、職を失い家族に見捨てられた者、転職を繰り返しても希望する職が見つからず抜け殻みたいになった元サラリーマンなどなど、「落とし穴だったら這い上がることもできるが、断崖絶壁から足を滑らせたら、二度と再び人生に両足を下ろすことはできない。落ちることを止められるのは、死ぬ時だけだ。それでも、死ぬまでは生きなければならないから、細々と駄賃稼ぎをするしかない。」という「居場所を失った者達」の世界。
 その中には、知恵の豊富なインテリもいて、幕末に上野で決起した彰義隊の戦いや、東京大空襲の経緯、その後の上野公園の成り立ちなど詳しく話す男や、白髪頭の灰色のダウンジャケットにピンクのチョッキを重ね着した老女などと、それなりのコミュニティーを維持している。

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 「この公園で暮らしている大半は、もう誰かのために稼ぐ必要のない者だ。女房のため、子どものため、母親、父親、弟、妹のためという枷が外れて、自分の飲み食いのためだけに働けるほど、日雇いは楽な仕事ではない。」ので、暗黙の了解で閉店後も裏口のカギをかけないでくれている老舗レストランの生ゴミとは別に袋に入れてくれている売れ残りの総菜、コンビニの賞味期限切れの弁当やサンドイッチ、毎週一回の教会の炊き出しなどで食を得て、捨てられたアルミ缶や雑誌、銀杏などをを拾い集めてそれを売って日々を過ごす。
 「ただの一度だって他人に後ろ指を差されるようなことはしていない。ただ、慣れることができなかっただけだ。どんな仕事にだって慣れることができたが、人生にだけには慣れることができなかった。人生の苦しみにも、悲しみにも‥‥喜びにも‥‥」と感じながら主人公は、若くして死んだ息子のこと、その時の葬式の様子、そして、隣りに寝ていて気づかなかった妻のこと、気づけなかった不甲斐ない自分などを、繰り返し繰り返し咀嚼の如く思いにふける毎日。

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 そんな生活の彼らに、上野公園に多くある博物館や美術館などに天皇や皇后、皇太子が行幸啓するたびに、公園管理事務所の「特別掃除」や「山狩り」があって、その度に小屋の撤去や一時避難を強いられる。がしかし、主人公も含めた彼らは御料車に出会えば、自然と市井の人たち同様に手を振ってしまう。
 本書の最後は、2011年に起こった東日本大震災津波に吞み込まれ亡くなる孫娘を思いながら、行き場までをも見失った主人公は、人生の重さを含んだ闇の中で聞こえるような「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります。危ないですから黄色い線までお下がりください。」というアナウンスを耳にするところで終わる。

 

 読み進める中でも、そして読み終わっても、幸せを願って生きていたはずの社会の中にありながら「居場所を失った人たちの存在」という、ずっしりと重いテーマの問いかけが、いつまでも心に残る作品である。