菜の花がもう咲き誇って・・・今日のPhoto

 昨日は春一番の南風が吹き荒れていたが、今日の日曜日は風もなく、快晴の春の陽気。

 今日は一日中、ファーム町田店のスタッフ。

 

◇菜の花
 朝9時過ぎに、妻の車に乗って所用で出かけたときに、我が家から歩いて15分ほどのところの遊歩道「尾根緑道」のわきを通った。
 前は、日曜の朝によく散歩したところだが、最近はファーム町田店のスタッフに入るのでご無沙汰だ。
 尾根緑道は桜の名所なのだが、毎年、その時期に合わせて咲く菜の花も見ものなのだが、今年はなんと、暖冬のせいか一か月ほども早く、桜の開花を待ちきれずに菜の花が咲いているではないか。

    f:id:naozi:20200223203840j:plain

    f:id:naozi:20200223203903j:plain

    f:id:naozi:20200223203928j:plain

    f:id:naozi:20200223203946j:plain

 

◇ファーム町田店の全景
 昼過ぎに九州出身で東京の大学に通うモリスケ君が、ファーム町田店を訪ねてくれた。

 お店のイートインで食事をしてもらって、我が家の生活館を案内して、しばし懇談。
 買い物をして帰りに駅まで送っていく途中で「九州の両親に店の様子を写メで送ろうと思って店内は撮ったけど、全景は撮り忘れた」という。
 そんなことで、駅送りから帰った夕方、「最近、僕もファーム町田店の全景は撮っていなかったなあ~」と思いながら、スマホで撮ってモリスケ君にラインで送った。

    f:id:naozi:20200223204113j:plain

    f:id:naozi:20200223204134j:plain


 

薬師池公園の梅林を楽しむ

 今日の土曜日の朝、妻が「薬師池公園の梅が見ごろよ」という。
 僕は、薬師池公園の四季折々の花を楽しんでいるのだが、公園は我が家から車で10分ほどのところにある。


 ファーム町田店の開店準備が一段落した後に行ってみた。

    f:id:naozi:20200222164239j:plain

    f:id:naozi:20200222164305j:plain

    f:id:naozi:20200222164332j:plain

    f:id:naozi:20200222164354j:plain

    f:id:naozi:20200222164419j:plain

    f:id:naozi:20200222164450j:plain

    f:id:naozi:20200222164514j:plain

    f:id:naozi:20200222164536j:plain

    f:id:naozi:20200222164619j:plain


 公園奥の「野草苑」にも寄ったら、フクジュソウ福寿草)と、カンザキアヤメ(寒咲き菖蒲)が咲いていた。

    f:id:naozi:20200222164654j:plain

    f:id:naozi:20200222164717j:plain

 公園内の熱海寒桜が咲き始めていた。

    f:id:naozi:20200222164818j:plain

    f:id:naozi:20200222164744j:plain

    f:id:naozi:20200222164843j:plain

 椿もきれいに咲いていた。

    f:id:naozi:20200222164912j:plain

    f:id:naozi:20200222164935j:plain

 

週末・金曜日のおしゃべり

 我が住む町田市でも、河津桜が満開になってきた。

    f:id:naozi:20200221133214j:plain

    f:id:naozi:20200221133234j:plain

 

◇今日は金曜日
 今月も、来週はもう最後の週だ。
 会の新聞「けんさん」の3月号の企画を練って、編集委員が取材の段取りもしているし、投稿依頼もしているが、全紙面の構成は、まだハッキリと固まっていない。
 今月は29日で終わりだと、ちょっと焦っているが、それはそれと、いろいろと情報収集しながら、あれこれと思案中だ。

 

◇水曜日に訪ねていた青年
 水曜日の午後3時頃、32歳の青年が案内所を訪ねてきた。
 2時間ほど、色々なことを話した。
 これからの日本って、どうなるのだろう的な話題になって、その中で、「おお~、若者に、こんな発想もあるのか」と思ったことがあった。
 それは「選挙の時の1票の格差問題」

f:id:naozi:20200221133521p:plain 彼はこのように言う。
 1票の格差を選挙の度に話題になる。
 地域の代表として議員を選ぶのだから、選出議員に対するそこに住んでいる人口差が問題になっているのは分かるけど、もっと違う意味での「1票の重みの格差」があるのではないか。
 その「格差」って、どう考えたらいいのか、疑問に思う。
 例えば、20歳の若者と、70歳の老人がいるとする。
 20歳の若者は、自分が30歳になったとき、40歳になったとき、どんな日本になったらいいかを考えながら、誰に投票するか考える。
 70歳の老人には、そんなことを考える必要がない。少なくとも自分のこととして30年後を考える必要はない。
 20歳の青年は考えがまだ未熟とか、経験がないということもあるが、少なくとも自分のこととして、10年後、20後、30年後を考えるチャンスの1票のはず。
 そう考えると、「70歳の1票」と「20歳の1票」って、その票に込められる重みが違う。

 この「1票の格差」を、どう見たらいいのだろう。

 

◇モンゴルの友人から
 モンゴルは先月27日から、新型コロナウイルスの感染拡大を阻止するため、全教育機関が休校、多数の人が集まる文化・スポーツイベント、会議なども開催が禁止されているという。
 その期限も、当初は3月2日までとされていたが、ここにきて3月末までと延期されたらしい。
 もちろん、中国との国境は閉鎖され、北京からモンゴル経由のロシアに通じている国際列車も止まっている。
 日本からの入国も警戒されているとか、制限されているとか、2週間の隔離とか、いろいろ言われ始めている。
 友人は、物価も急上昇だと嘆いていた。
 モンゴルのツァガーンサル(旧正月)は今月24日から、物価上昇で大変だろう。
 お正月の大きなイベントも中止で、家庭でも大規模な集まりは控えるようにと政府からお達しが出ているという。
 毎年、大量のボーズ(モンゴル餃子)を作って祝い合うのだが、今年は家庭毎のささやかなお正月を迎えるようだ。
 下の写真は、何年か前の夏に、モンゴルを訪れたときの家畜の写真だが、この家畜たちが厳冬を越すための飼料も値上がりして困っているようだ。

    f:id:naozi:20200221153657j:plain

    f:id:naozi:20200221153727j:plain

 友人の牧場の馬も一頭、餌不足で死んだらしい。

 今年の冬は雪が少ない。春になってからの水不足で、草が心配だとも言っていた。
 

「共に生きる」ということはどんなことか

 NHKラジオの情報・教養番組に『すっぴん!』というのがある。
 その番組の中に、作家の高橋源一郎さんがパーソナリティーの「源ちゃんのゲンダイ国語」というコーナーがある。
 このコーナーは、髙橋さんが「心にとまった言葉や文章を読み解き、思わぬ魅力やそこに含まれている意味」を紹介しているのだが、先週の金曜日は、えらいてんちょう著『しょぼ婚のすすめ』という本を取り上げていた。
 「えらいてんちょう」はYouTuberであり著作家の矢内東紀さんのハンドルネーム。
 実は、矢内東紀さんとは3度ほどお話をしたことがある。その1回はヤマギシファーム町田店を訪れた時で、多摩実顕地の生活館も案内して僕たちの日頃の生活の場を観てもらった。
 そんなことで先月刊行された、イスラーム法学者の中田考さんの司会で、神戸女学院大学名誉教授でもあり武道家でもある内田樹さんと、矢内東紀さんが対談している『しょぼい生活革命』(この中でヤマギシについても触れている)という新刊を読んだばかりだったので、今回、『すっぴん!』で髙橋源一郎さんが取り上げた『しょぼ婚のすすめ』にも興味があり、放送後に早速読んでみた。

    f:id:naozi:20200218214937j:plain

 

 『しょぼい生活革命』では、表紙帯に『世界を変えるには、まず生活を変えよう。世代を超えて渡す「生き方革命」のバトン』と書かれているし、本の内容紹介には『ほんとうに新しいものは、いつも思いがけないところからやってくる! 仕事、結婚、家族、教育、福祉、共同体、宗教……私たちをとりまく「あたりまえ」を刷新する、新しくも懐かしい生活実践の提案。』とあり、さらに、内田樹さんのまえがきには『何か「新しいけれど、懐かしいもの」が思いがけないところから登場してくる。それを見て、僕たちは、日本人がまったく創造性を失ったわけではないし、才能が枯渇したわけでもないと知って、ほっとする。きっとそういうことがこれから起きる。もうすぐ起きる。それが「どこ」から始まるのかは予想できないけれど、もうすぐ起きる。そういう予感が僕にはします。』と書いているのだが、僕たちが日々生きているヤマギシ生活体、あるいはヤマギシの会員たちが住んでいる地域社会、そこでの人と人との繋がりやあり方、考え方について、一考に値する内容が述べられていて新鮮な感動を覚えた。

f:id:naozi:20200216141643j:plain

 今回、放送の中で髙橋さんが取り上げた『しょぼ婚のすすめ』では、矢内さんがまえがきで『本書で取り上げる「しょぼ婚」は「しょぼい結婚」を略した造語で、「とりあえず婚姻を成立させ継続させること、そして社会を成立させ維持していくこと」を目的にしています。』と書いているように、自分は出会って2日で婚約して2週間で結婚した体験を例に挙げながら、結婚によって社会の最小単位である家庭を持つことが、社会人として如何にメリットがあるか、そして、夫婦が家庭を営み子育てするには、こんな考え方で、こんな風にしたらいいのではないかと、いろいろな自分が体験したエピソードを例にしながらハウツー的に分かり易く論じている。

f:id:naozi:20200216141643j:plain

 放送の中で髙橋さんは、書かれている何箇所かを朗読しながら『これは、結婚だけの話ではない、夫婦の間だけでなく、誰か知らない人と上手くやって行く、知らない他人と暮らすとは、知らない人たちと上手くやって行くには、知らない国同士が上手くやって行くには、ということも基本的にはみな同じ・・・ということまでのテーマが含まれている。今の社会が向いている方向に対して、ちょっとおかしいよと問題提起している』『相手を知らなくてもいい、相手には自分の知らない素敵なところがある、自分にも欠点はある、相手にも欠点はある、欠点がある者同士が補い合うことが、社会を創るということ、それが「共に生きる」ということ』と、矢内東紀さんが言おうとしているのではないかと読み解いているのだ。

f:id:naozi:20200216141643j:plain

 さらに髙橋さんは、「えらいてんちょう」の矢内東紀さんが、どうしてこのような考え方ができるのかに触れている。
 それは、矢内さんの両親は60年代末の「全共闘運動」を経験して、その後、新しい社会を創ろうとコミューン(共同体)を創り、その中で育ったからではないかと述べている。『しょぼい生活革命』で対談している内田樹さんも、「僕たちの歴史的経験を、一般的な情報としてでなく」、親子関係を通じて、日常的現実として知っているから「そういう経験をした人の目から、世の中はどう見えるのだろうかということにつよく興味を惹かれる」と、髙橋さんと同様に、矢内さんのコミューンの中で培ったものを評価している。

 確かに、矢内さんの論じていることは、頭だけでなく体験している実感として分かり易く、僕たちがヤマギシという生活体の中で日頃考えていること、やろうとしていること、実感していることに通じることが随所に出てくるので、読みながら考えたり、自分を省みたくなる内容なのだ。

 

 では、どんなことが書かれているか、少しだけ記してみる。

f:id:naozi:20200216141643j:plain『しょぼ婚のすすめ』の中から

◇結婚生活のカギは〝譲り合い〟
 人はみな、自分なりの生活のルールやルーティーンを持っています。配偶者は本来、まったく違う環境で育った赤の他人ですので、そもそも価値観が違うのは当たり前です。だったら、自分にこだわりのない部分は譲ればいいし、こだわりのある部分は並べ替えたり歩み寄ったりしてどうやっていく、という姿勢はとても重要です。結婚生活のカギは「いかにストレスなくお互い譲り合うか」と言ってもいいでしょう。
 *共に暮らす中で、価値観の多様性を受け入れることの重要性を言っている。


◇配偶者がいるから「ちゃんとなる」
 「人はちゃんとするようになってから結婚し子育てをするのでなく、結婚し子育てをしていけば自然とちゃんとなる」のです。
 *共同生活をする中で「より居心地の良い関係であろうとし続ける」ことによって人は成長するという。


◇子どもの幸せを親が決めるな
 子どもが幸せになれるように親が有形無形の支援をするのは親として当たり前のことです。ただ、その支援は「子どもを自分の意のままにする権利」とも、「子どもの幸せの定義をかってに決める権利」ともセットになってない、ということです。親は世界の一隣人にすぎないというのも事実です。
*意識しているしていないにかかわらず、親は子どもに対して絶対的な支配権を有するという考えの否定。


◇やらなくても困らないことは、やらなくてよい
 いかによその家庭で普通とされていることであろうとも、我が家で誰もそこを気にしていないのであればやる必要はない。「家庭はこうあるべきだ」という思い込みは捨てましょう。
*誰も困っていないことに、こうあるべきだとして「ルールを設ける」と、余分なストレスになると言っている。


◇「しょぼいホームパーティ」や「しょぼい育児ネットワーク」のすすめ
 そもそも子育て、保育というのは膨大な手間のかかるもので、これを一人ないし二人でやるのはかなり大変です。どうやったら明るく楽しい子育てができるか、と考えたときに、これはひとつの解になり得るのではないかと考えます。
*矢内さん夫妻は実際に実践している。矢内さんが使っている「しょぼい」とは気軽にとか、肩肘張らないサクッと、とかの意味だと思うが、ヤマギシの会員たちが「ともに見合って子育てをしよう」と地域でやっている子育て講座やはれはれ保育、食事会などに通じることを言っている。

f:id:naozi:20200216141643j:plain『しょぼい生活革命』の中から

内田樹さんは「共同体の基本は参加者全員の持ち出し」と述べている。
 共同体の基本は、参加者全員が「持ち出し」ということだと思います。でも、実際には、「俺は持ち出したけど、みんなは取り過ぎだ」、「俺だけが損をしている、割を食っている」、「あとの連中は俺の持ち出し分でいい思いをしている」と全員が思っているんです。みんなを仲良くさせるために、あれこれと見えないところで心を砕いている人だって、これだけ自分が努力しているおかげでこの集団はかろうじて成立しているのに、どうしてみんなは自分にもっと感謝しないんだ、とちょっとは怒っている。でも、「見えないところ」でしている気づかいは、やっぱり見えないんですよ。そういうことを主観的には全員がやっているわけです。みんなが「オレは見えないところで気づかいしているのに、それに対する感謝が足りない」とちょっとずつ不満に思っている。そういうものなんですよ。
 だから、それが「ふつう」だということにすればいい。共同体というのは、基本的に「持ち出し過剰」で、自分の「割り前」の戻りはないものだ、と。そう思えばいい。出てゆくだけで、それと等価のリターンはない、と。そう思ったほうが気が楽だし、共同体もうまくゆく。お金を出す人もいるし、気をつかう人もいるし、ゴミを拾う人もいるし、それぞれの「持ち出し」のありようは違うんです。だから、出した分だけの割り前が戻ってくるということはあり得ないんです。
 自分にはわりと簡単にできるけど、他の人たちにとってはけっこう難しい仕事というのがありますね。それを担うのが共同体に貢献する仕方だと思うんです。自分には選択的にある種類の仕事については能力や適性がある。そういうものは「持ち出す」ためにあるんです。天賦の才能というのは、自分のために使うんじゃなくて、人のために使うように、天から贈られたギフトなんですから。みんなが自分の「ギフト」を差し出す。すると、みんなのギフトが供託された場所ができますね。そこに「公共」というものが成立する。それが近代市民社会論の基本的なアイデアだと思うんです。

 

 このように『しょぼい生活革命』『しょぼ婚のすすめ』という本の中の、さりげない、易しい論述の中に、僕たちが日頃考え続けている本質的なものが示唆されているように僕には感じるのだ。
 

小雨の中を春の花を求めて散歩

 今日の日曜日、東京は朝から雨。

 ファーム町田店の開店準備が一段落した8時過ぎ、小雨になってきたので、春を告げる花を観ようと散歩。

 

 歩道脇の花壇には、水仙がきれいに咲いている。

    f:id:naozi:20200216174509j:plain

    f:id:naozi:20200216174531j:plain

 

 我が家から徒歩で10分ほどのところの忠生公園グランド脇の土手には、河津桜が咲いていた。

    f:id:naozi:20200216174559j:plain

    f:id:naozi:20200216174618j:plain

    f:id:naozi:20200216174651j:plain

    f:id:naozi:20200216174719j:plain

 

 梅の花がどこかで咲いていないかなあ~、と思っていたら雨足が強くなってきたので散歩は中断。


 今日は一日中、小雨が降っている日曜日だった。

直木賞作品・川越宗一著『 熱源 』を読む

 直木賞作品・川越宗一著『 熱源 』

    f:id:naozi:20200216141448j:plain

 主人公は樺太(サハリン)生まれのアイヌの青年と、リトアニア生まれのホーランド人。
 明治政府とロシア政府によって、土地と言語を奪われながら、雄々しく生き抜く2人を軸に展開する物語なのだが、ここに登場している人物の多くが実在の人物をモデルにして、史実をなぞるように物語を展開して描いていることに、この歴史小説の価値と、読みごたえというか、僕は醍醐味を感じた。

f:id:naozi:20200216141643j:plain主人公の樺太生まれのアイヌ人・ヤヨマネクフと、ポーランド人でありながらロシア皇帝暗殺計画に連座して樺太へ流刑となったロニスワフ・ピオトル・ピウスツキをはじめ、初めての南極探検隊の白瀬中尉、アイヌ語研究の第一人者・金田一京助、そして大隈重信が登場するなど、ほとんどの登場人物が実在なのである。


 さらに、僕は日本初めての南極探検隊にアイヌ人2人が参加していたことなどを知らなったので、改めて読み終わった後に、登場人物や史実をネット検索(ウィキペディアなど)してみた。
 参考までに登場している人物を何人か上げてみよう。

 

◇南極探検隊に参加した主人公のアイヌ人・ヤヨマネクフ

f:id:naozi:20200216141857j:plain 日本名・山辺安之助(やまべ やすのすけ)は、白瀬中尉の南極探検隊に樺太犬犬ぞり担当として参加。
 『アイヌを救うものは、決してなまやさしい慈善などではない。宗教でもない。善政でもない。ただ教育だ』と、樺太アイヌの指導者として、集落の近代化や、子どもたちへの教育に尽力した。著書に『あいぬ物語』(樺太アイヌ語による口述を金田一京助が筆記)。口承文芸の語り手としても、ヤシノスケという名前で、ポーランド人の民族学者ブロニスワフ・ピウスツキに説話を語っており、その説話は収録されている。

◇ヤヨマネクフの幼馴染のアイヌ人・シシラトガ
 日本名・花守信吉(はなもりしんきち)も、ヤヨマネクフと一緒に白瀬の南極探検隊に参加した樺太アイヌの男性として実在する。

 

◇もう一人の主人公で樺太(サハリン)流刑となったブロニスワフ・ピオトル・ピウスツキ

f:id:naozi:20200216141958j:plain ポーランド文化人類学者、社会主義活動家。1918年に独立したポーランド共和国の初代国家元首ユゼフ・ピウスツキは弟。
 1887年、アレクサンドル3世暗殺計画(この時処刑された首謀者の中にはウラジミール・レーニンの兄アレクサンドル・ウリヤーノフがいた)に連座して懲役15年の判決を受け、サハリン(樺太)へ流刑となる。
 サハリンでは、初めは大工として働き、アイヌの生活や風習を書き留めていたのをロシア地理学協会に認められて学者の道に。写真機と蝋管蓄音機を携えて資料収集を行い、樺太アイヌ、ギリヤーク、オロッコなどの写真・音声資料を多量に残した。同時に原住民の子供たちへ「識字学校」を作ってロシア語や算術・算盤教育をする。
 樺太南部にある集落・アイ村で村長バフンケの姪チュフサンマと結婚し、一男一女をもうける。

 

金田一京助(きんだいちきょうすけ)も登場

f:id:naozi:20200216142846j:plain 日本の言語学者民俗学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。
 石川啄木との交遊も知られるが、物語では、ヨマネクフが南極探検隊に入ったときに東京の金田一を訪ねたときのやり取りで、それが次のように書かれている。
── 細君が出してくれた湯呑には、お茶ではなく白湯が注がれていた。
 「暮らし、苦しいのか」
 自分の話を終えてから、そっと尋ねると、金田一はやはり笑顔を作った。
 「仕事も薄給なのですが、友人の面倒を見ていまして、妻には苦労をかけています」
 詩の才を持つ石川という同郷の友人がいて、たびたび金を無心に来るという。
 「もうすぐ出す歌集にはぼくへの献辞も入れてくれたのですが、それより生活をきちんとして欲しいのですがね。ワレナキヌレテ、カニトタワムルなんて詠まれても、こちらが泣きたいくらいで」

 

◇南極探検隊の白瀬矗(しらせのぶ)

f:id:naozi:20200216142930j:plain 1910年12月、日本の陸軍軍人で南極探検家として開南丸で東京から出航し1911年2月26日に氷海へと到達、ロス海へ船を進める。しかしすでに南極では夏が終わろうとしていたためコールマン島から引き返し、越冬のためオーストラリアのシドニーへ寄港する。

 11月16日にシドニーを出航し、二度目の試みでエドワード7世半島を経由して南極大陸到達に成功する。
 開南丸から7名の突進隊が棚氷へと上陸し、南緯80度5分・西経165度37分まで探検した後、一帯を大和雪原と命名して帰国の途につく。
 この探検隊に、樺太アイヌ人のヤヨマネクフとシシラトガが同行しているのである。

 

◇このような実在の人物を、多くの資料をもとに、筆者は豊かな想像力で生き生きと描いていて、実に読みごたえがあり、さすが話題の直木賞受賞作だと思った。

 さらに、最後の「終章・熱源」は、感動的に描かれていて、爽やかな気分で本書を閉じることができた。

 

桜美林大学の『まちだDサミット』に行く

 今日は、我が家から歩いて15分ほどのところにある桜美林大学で、町田市高齢者福祉課が主催する『まちだDサミット』があった。
 「Dサミット」のDは、認知症・dementia (ディメンシャ)のDで、認知症をテーマにした催しで、「認知症の人にやさしいまち」の実現に向け、認知症当事者とその家族、医療福祉関係者、行政、企業、NPO、学術研究者などが集まってのもので、妻たちが日ごろ地域で活動している内容なので行ってみた。

 

桜美林大学の校舎のわきの桜
 桜美林大学というだけあって、ここは桜の木が多く、桜の時期になると知る人ぞ知る桜の名所だ。
 今日行ってみたら、校舎わきの早咲きの桜が、もう咲き出していた。

    f:id:naozi:20200215210613j:plain

    f:id:naozi:20200215210638j:plain

    f:id:naozi:20200215210656j:plain


◇会場は桜美林大学・町田キャンパス太平館

    f:id:naozi:20200215210720j:plain

    f:id:naozi:20200215210742j:plain

    f:id:naozi:20200215210802j:plain


◇『まちだDサミット』
 今回のテーマは「“認知症の人にやさしいまちづくり”のすすめかた」
 「認知症の人にやさしいまちづくり」をさらに広げ、進めるために、認知症の人の視点から、暮らしの様々な場面における現在の町田市の姿をとらえ、認知症の人とともにこれからの進め方を考えるというもの。

    f:id:naozi:20200215210936j:plain

 基調講演は、元アナウンサーで福祉介護評論家・福祉ジャーナリストの町永俊雄氏。

    f:id:naozi:20200215211006j:plain

 日々の取り組みや活動によって、認知症に対する偏見や差別がなくなってきていることや、認知症当事者の視点にたった社会の問題点の認識や街づくりの大切さを話してくれた。

    f:id:naozi:20200215211032j:plain

    f:id:naozi:20200215211106j:plain

 
 講演の後は、市内に暮らす認知症当事者の暮らしを撮影したドキュメントムービーが上映され、当事者と町永氏との対談なども企画されていた。

    f:id:naozi:20200215211137j:plain

 

◇2つのセッションを聴講
 午後は、「認知症の人にやさしいまちづくり」のすすめ方を考える9つのセッションがあった。
 僕は、妻たちが立ち上げ取り組んでいる認知症の人達が集える場づくり「Dカフェ」と、認知症の人達の働く場づくり「HATARAKU認知症ネットワーク町田」の取り組みのセッションに出た。

    f:id:naozi:20200215211240j:plain

    f:id:naozi:20200215211300j:plain

 この「HATARAKU認知症ネットワーク町田」は、町田市所有の放棄された竹林を借りて、竹林を整備しながらタケノコを掘ったり、竹炭で消臭剤を作ったり、竹林の中で四季折々に子ども達も交えて竹細工や流しそうめんなどの企画を、認知症の当事者や家族とやっている。
 僕も去年の春には、妻からの要請で3週間ほど早朝にタケノコ掘りを手伝ったし、時々、竹炭づくりの竹運びに行ったりしている。

 

    f:id:naozi:20200215211425j:plain

 妻たちの地域での活動は、おおよそは知っていたつもりだが、改めてこんな意義があって、こんなことまで取り組んでいたのかと再認識した一日だった。