今日で11月も終わり「紅葉Photo」おしゃべり

 今日で11月も終わり。朝晩がだいぶ冷え込んできた。
 いまが、紅葉の見頃。

 

◇「紅葉のライトアップ」Photo
 我が家から車で15分ほどのところにある「薬師池公園」では、今年も「紅葉まつり」を開催して、夜は池の周りの色付いた紅葉をライトアップをしている。
 昨夜、夕食後にタケイさんと出掛けて観賞。

    

 池の水面に映る、その相対美が凄い。

    

    

    

    

    

    

    

    

 

◇「鎌倉の紅葉」Photo 
 今日は鎌倉の知人がやっている骨盤調整治療院へ。
 朝早くの予約だったので、施術が終わった後、「鎌倉まで来たのだから、紅葉も見たいなあ~」と思って、江ノ電の「長谷駅」で途中下車。
 先ず「長谷寺」へ。

    

    

    

 次に高徳院の「鎌倉大仏」へ。

    

 どちらも、子ども達の遠足と外人観光客がいっぱい。
 帰りに鎌倉名物「しらず丼定食」を食べて帰ってきた。

    

 

ポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路』の再読をやっと終了

 10月末に、約1ヶ月かけて読み終わったネイティヴ・アメリカンの口承史」のポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路』。
 この本は、モンゴロイドの一族が、長年安住の地として住んでいたユーラシア大陸から、海に呑まれる寸前のベーリング陸橋を命がけで渡り北アメリカ大陸へ。そこからもカナダ北西部での冬越え、現代でも困難なロッキー山脈越え、米中西部の巨大な砂漠の横断など数々の困難を乗り越えて、ついに五大湖南岸の「新たな安住の地を獲得」した大いなる旅路の物語なのである。

     

 その一族というのが、ネイティヴ・アメリカンといわれる北アメリカの先住民・イロコイ族(現在もイロコイ連邦として存続)
 彼らが重要な事項を決定する際は、全員が納得するまて話し合う。そこで彼らが何より優先して考えなければならないことは、現世代のことではなく、これから生まれ来る世代が自分たちより悪い環境で暮らすことがないよう、心を配り決定を下す。
 今なお続いているイロコイ族のこのような知恵と実践は、民主主義の一つの原点としてアメリカ建国、国際連盟国際連合にも影響を与えたと言われているだけあり、本書は示唆に富んだ内容なのだ。


 どうしても、もう一度読んでみたくなって、また、今月始めから再読し昨日やっと読み終わった。
 540ページほどの部厚い本を、読み終わってすぐに再読したくなったことなど、いままでにはなかった経験。それくらい、この本は僕にとって知的好奇心を刺激してくれた書籍。

 この本については2度ほどブログに記載しているが、改めて今回は訳者の星川淳さんが巻末に書いている「訳者あとがき」を引用しながら紹介したい。

◇訳者・星川淳さんは、この書籍との出会いと、翻訳し終わった時の心境をこのように記している。
「原書で厚さ五センチ近く(しかも特大のペーパーバック版で!)のこの本をはじめて手にしたときも、それから二年半ほどたって邦訳を終えたいまも、不思議な胸騒ぎがする。ひょっとしたら途方もないものに出会っているのではないかという驚きと、ありうるはずがないという疑い――その二つが入り混じって、なぜか心臓が高鳴るのだ。」

◇では、この書籍はどの様な成り立ちなのか
「一八一〇年、イロコイ連邦オナイダ族に属する一人のうら若き女性が重大な決心をした。その名はツィリコマー(明るい春)、二五歳。幼くして治療師の才能を示し、一七歳のときに手当てした老人からは、消えゆく口承史の一端を託されて七年間にわたる伝承を受けていた。」
アメリカ合州国建国まもないこの時代、ヨーロッパ系入植者の圧力により伝統的な先住民社会は激動期に突入していた。北東部沿岸地域の多くの部族は先祖伝来の土地を追われ、西へ西へと悲しい民族移動を余儀なくされる。同時にキリスト教への改宗を迫られ、精神的にも大混乱がはじまった。合州国建国当時、強大な勢力を誇ったイロコイ連邦でも、オナイダ族出身の宗教改革者ハンサムレイクがキリスト教と伝統的信仰との折衷を説き、支持を広げつつあった。」
「そしてついに、部族全員の協議により、古来の伝承をきっぱりと捨ててハンサムレイクの教えを受け入れる日が来た。だがそれは、一族の来歴を記憶する伝承者もろとも火に投ずることさえ意味していた。」
「決定を聞いたツィリコマーは、協議の席を立つとロングハウスの祭壇へ歩み寄り、口承史にかかわるワンパム・ベルト(記録帯)と聖包を取り上げて、そのまま足早に外へ出た。命が惜しかったのではない。正しい来歴を守ろうとしたのだ。部族の者たちがあとを追ったが、彼女は顔見知りのクエーカー教徒の家に身を寄せ、馬車の荷台に隠れて西のイリノイ州へ逃げのびたという。」
「それから五世代後の一九九三年、ツィリコマーの子孫がたんねんに受け継いだ口承史を英語で出版した。それが本書である。」

モンゴロイドユーラシア大陸からベーリンジア(エーリング陸橋)を渡り北米へ渡った民族を調べていた星野淳さんは本書との出会いをこのように書いている。
「そのときの衝撃は想像いただけるだろう。あると期待はしていたけれど、そんな期待をはるかに超えるスケールとディテールの記録が、ズッシリとした重みの物語に結実していた。」
モンゴロイド一万年、いや〝出アフリカ〟の記憶とおぼしき最古のエピソードまで含めれば十万年以上の大いなる旅路が、まさに実録の形で語り伝えられてきたというのだ。当然、最初は驚きとともに創作を疑った。本当にしてはあまりにも出来すぎている。しかし、読み進むにつれ偽作では片づけられない奥ゆきや真実味も伝わってきた。」

星川淳さんは、英語版の著書であり、この口承史を引き継いでいるイロコイ族の系譜をひくポーラ・アンダーウッドさんに会い、「偽作によって名声を求めるような人柄とは思えなかったし、本書について私が用意していったさまざまな質問や疑問に対する答えからは、創作では考えにくい深い一貫性・整合性を感じとることができた。」と確信する。

◇こんな経緯で日本語版となった本書に、星川さんは、次の様なメッセージを受け止めている。(本書が刊行されたのは1998年)

「われわれ日本人とも血を分ける先史モンゴロイドたちが、ベーリンジア越えの物語を思い出させようとする意志のようなものが感じられた。」
「たぶん、われわれもいま大きな橋を渡ろうとしているのだろう。モダン(近代)の大陸からポストモダン(脱近代)の原野へ——核の脅威、山積する地球環境問題、人間の社会と精神の崩壊、そして環境ホルモンによる種存続の危機まで、もしかしたらわれわれの前に横たわる〈海辺の渡り〉は、水没寸前のベーリンジアよりもっと狭く、険しく、渡りおおせる成算の少ない橋かもしれない。」
「だからこそ、二〇世紀末というこの正念場に、無数の祖先たちが見えない手を差しのべてくれるとは考えられないだろうか。いや、励ましは過去だけでなく未来からも届いているかもしれない。本書の物語からは、遠い過去と遙かな未来を結ぶ人類の集合的な祈りが立ちのぼるようだ。思い出せ、心にとどめよ、われわれがどんな苦難を生きのび、何を学んできたかを。秘められてきた本当の歴史から、こんどの危うい橋を渡りきる勇気と知恵と力を汲み取ってほしい、と―。」

 縄文以前の古代人が、自分たち全員が知恵を出し合う「節度ある話し合い」の知恵を編み出し、「子どもたちの子どもたちの子どもたちのために」新たな安住の地を求める旅。
 その長い長い旅路で、厳しい自然と、他民族との数々の出会い。生きる糧としての猟と栽培(カボチャや豆類やトウモロコシなど)を育み、生きる術の多くを学び蓄積していく。その過程が物語としても実に面白く展開し、興味津々、読み進めることが出来る。


 ぜひ、一読(僕は2度読み)を、お薦めする書物である。

 

◇蛇足になるが、今宵は11月の満月。
 アメリカ先住民たちは、毎年11月頃になるとビーバーの毛皮を目的に、罠を仕掛けていた。 そのことから、11月の満月をビーバームーンと呼ぶようになったそうだ。
 この月を、古代のアメリカ先住民たちも、五大湖の畔で見ていたのだろうか。

     

    

 

 

     

穏やかな秋の一日の今日「なかよし花壇」の定植

 今日の木曜日、気温も20℃近くまで上がって、暖かな、そして風もなく穏やかな秋の一日。
 新聞に「立川市平和記念公園」の銀杏並木がライトアップされているという記事が載っていた。「都心の外苑の銀杏並木も色付いていて見頃だろうな~」と思って、高田馬場に通っていた頃は、毎年、通勤時に立ち寄って楽しませてもらっていたことを思い出す。
 なんとなんと、夕方、車で買い物に出掛け、近くの「いちょう通り」という道を通ったら、見事に色づいた銀杏にであった。

     

 「外苑まで行かなくても・・・ラッキー」と、車を止めてスマホのシャッターを切る。

     

 

◇「なかよし花壇」の花苗の定植
 毎年、ブログに書いているが、町田市では「市民の手づくりによる花壇の草花が街を彩る企画」として、希望する市民や団体に、花の苗を提供して、それを植えた花壇の出来映えを審査する「花壇コンクール」をやっている。
 我がファーム町田店でも、その「花壇コンクール」に駐車場わきの花壇が参加している。
 今回の定植は、「2024年春コンクール」の草花だ。

 朝8時過ぎに、町田市の公園緑地課が苗を育てている育苗農場(下小山田苗圃)にカワハラさんと軽トラで行く。

     

     

     

     

 9時に、ファーム町田店駐車場わきの「なかよし花壇」に、苗を積んで帰ってきた。
 まずは、ミッコちゃんが、花が咲いた時のイメージを描きながらつくった設計図(これはまた、今年は緻密なのだ)をもとに、苗を配置する。

     

     

     

     

 苗の配置が終わったら、定植開始。

     

     

 我が家のアイドル・カンタ君もお母さんと一緒にお手伝い。

     

 約1時間で定植し終えて、水をやって終了。

     

 見事に、きれいに定植されている。

     

 冬の寒さに耐えて育ち、来年春にはどんな花が咲き誇るか、楽しみだ。

紅葉を求めて甲府へ

 木曜日の昨日は、ファーム町田店の休業日。
 「今年はまだ紅葉狩りに行ってないねぇ~」と、タケイ夫妻とシカタ君と僕の4人で、朝6時発で甲府へドライブ。
 天気にも恵まれて、目指すは、昇仙峡だ。
 途中は初狩PAで眺めた富士山も最高。

    

 順調なドライブで昇仙峡に8時少し過ぎに到着。

 

◇昇仙峡散策
 先ずは「仙娥滝」へ。
 滝の入り口で、こんな笑顔豊かな布袋様が迎えてくれた。

    

    

    

 これが、落差は約30m、日本の滝百選に選定される「仙娥滝」

    

    

 その後は、昇仙峡の主峰『覚円峰』を眺めながら渓谷沿いを散策。

    

 紅葉もきれいに色づいて・・・。

    

    

    

 遊歩道のこんな「石門」を潜りながら約1時間の散策。

    

 

◇2つの神社参拝
 散策の後は、昇仙峡の水晶が祀られ、金の成る木と称される「鬱金桜(うこんざくら)」で有名な「金櫻神社」へ。

    

    

    

 ここからも、富士の雄姿が眺められた。

    

 「金櫻神社」の参拝を終えた後は、もう一つの神社「夫婦木神社」へ。

    

    

    

 この神社は、「男女が参詣して祈れば必ず結ばれ、子宝の欲しい夫婦が揃って祈願すれば必ず授かる」と言われるだけあって、ここに祀られている「御霊木」が凄い。
 写真を撮ることは禁じられていたのだが、樹齢1000年の栃の木の御霊木は、周囲10m余りで高さが6mほどの幹の根元。外形は女性の象徴、内部を覗くと空洞になっている上部から長さ5m、周囲2mに近い男性の象徴が垂れ下がっている。
 禁止されていなくても、恐れ多くてスマホのシャッターを切ることは出来ない感じ。

 

◇昼食は「ほうとう」を食べる
 甲府駅近くに「ほうとう」が美味しい「小作」という店があるとタケイさんが知っていて、「どうせ食べるなら、そこに行こう」とナビを頼りに甲府駅北口のお店に。

    

 僕は「ちゃんこほうとうを食べたのだが、味といい、ボリュームといい、大満足。

    

 さすが、「ほうとう」で有名な甲府の地だ。

 

猿橋に寄って帰途につく
 「もう一箇所、猿橋の紅葉も有名だよ」とタケイさんがいうので、日本三奇橋のひとつつと言われるらしい「甲斐の猿橋へ。

    

 猿橋のうえから眺める渓谷も絶景だ。

    

    

 この猿橋の構造が凄い。

    

 僕は、この橋梁構造に感心した。

    

 橋脚を使わずに両岸から張り出した4層のはね木によって橋を支えているのだ。

 

 夕方6時に帰宅。
 昨日は、大満足の秋の一日だった。 

12日・日曜日はファーム町田店の「8周年記念・お餅つき」

 11月11日(土)と12日(日)は、ファーム町田店は大賑わい。


◇12日の「立冬」を過ぎて急に寒さが増してきた日曜日。
 「8周年記念・お餅つき」イベントをした。

     

 この企画に駆けつけてくれたのは、三重県ヤマギシの村・美里実顕地から餅製造部門のメンバー6人と、長野県のヤマギシの村・飯田実顕地から1名、群馬県ヤマギシの村・榛名実顕地から2名、埼玉県のヤマギシの村から1名は前泊で、さらに当日、岡部実顕地から5名が早朝5時半出発して駆けつけてくれてくれた。
 前日の夜に案内所で食事会をした若者たち(男性3名は多摩実顕地に宿泊、女性2名は八王子の会員宅に宿泊)も早朝から加わって、老若男女混成の万全のスタッフ体制。

 朝7時から会場準備。
 会場準備がほぼ終わった8時15分から、今日の出発打合せ。

     

 10時、常連のお客さん、餅つき体験したい親子連れなども集まって、餅つきスタート。

     

     

     

     

     

 搗いたのは「玄米餅」「よもぎ餅」「豆餅」「あんころ餅」「きなこ餅」「菜餅」など盛りだくさん。
 搗き上がったお餅を手早くちぎって丸めて、パックに入れて・・・。

     

     

 1パック(2個入り)大サービスの100円で食べてもらった。

     

     

 岡部実顕地メンバーが作ってくれた「豚汁」も大好評。

     

     

     

 通りに近いお店の入り口では、飯田実顕地から昨夜運んできた産地直送「リンゴのお店」を出した。

     

 

◇11日の土曜日は「トラック市」と「五平餅・豚串の炭火焼きのお店」 

 この「8周年記念・お餅つき」を、1人でも多くの客さんにお知らせして盛り上げようと、前日の土曜日は、お店の入り口に軽トラックを横付けそて岡部実顕地から運んできたキャベツや白菜、ブロッコリー、人参、レタスなど新鮮野菜の「トラック市」と、「五平餅」と「豚串の炭火焼き」のお店を出した。

     

     

     

     
 

11月8日・立冬の富士山

 8日は立冬

 暦の上では冬の始まりなのだが、東京も日中は半袖でもいいような暖かさ。
 8日~9日は三重県への出張だった。
 8日の朝、静岡付近で新東名高速から撮した富士山。

     

 10月17日に静岡県に生産物配送で出掛けたイナダ君から、ラインで送られてきた富士山には、こんなに雪を被っていたので、3週間後の「立冬」には、その雪が消えていた。

     

 でも、天気予報では今日の雨から気温が平年並みに近づくとのこと。

ポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路』を再読中

 明日は「立冬」。暦の上では冬の始まりだ。
 昨夜から今朝にかけては、嵐のような雨と風。
 今朝は、街路樹の葉っぱも、いっぱい落ちていた。

                

 公園の木々の葉も色付いている。

               

 ススキもきれいに白い穂を揺らしている。

               

 明日からは三重県ヤマギシの村・豊里実顕地に出張だ。
 また、暫くブログにご無沙汰となるし、今夜は時間があるので、再読中の本のおしゃべりをする。

 

◇ポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路』を再読中
 先日、約1ヶ月かけて読み終わった「 ネイティヴ・アメリカンの口承史」のポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路』を、今週初めから再読している。

                

 540ページほどの部厚い本なのだけれど、どうしても、もう一度読んでみたくなった。
 この書籍が出たのは25年前で、いつかは読んでみたいと思いながら、その部厚さと値段にちょっと買うのを躊躇して読んでいなかったのだが、先日、友人宅を訪れた時に本棚にこの本があったので借りて読もうと思ったら、友人曰く「これだけは貸せない。時々、読み返している」とのことで断られた。
 いま一読して、その友人の気持ちがよく理解できる。

この本は、モンゴロイドの一族が、長年安住の地として住んでいたユーラシア大陸から、海に呑まれる寸前のベーリング陸橋を命がけで渡り北アメリカ大陸へ。そこからもカナダ北西部での冬越え、現代でも困難なロッキー山脈越え、米中西部の巨大な砂漠の横断など数々の困難を乗り越えて、ついに五大湖南岸の「新たな安住の地を獲得」した大いなる旅路の物語なのである。
 その一族というのが、ネイティヴ・アメリカンといわれる北アメリカの先住民・イロコイ族(現在もイロコイ連邦として存続)。
 彼らが重要な事項を決定する際は、全員が納得するまて話し合う。そこで彼らが何より優先して考えなければならないことは、現世代のことではなく、これから生まれ来る世代が自分たちより悪い環境で暮らすことがないよう、心を配り決定を下す。
 今なお続いているイロコイ族のこのような知恵と実践は、民主主義の一つの原点としてアメリカ建国、国際連盟国際連合にも影響を与えたと言われているだけあり、本書は示唆に富んだ内容なのだ。

 再読は、いま100ページを超えたところだ。実に物語としてもワクワクする展開の連続だ。
 ここまでの展開を要約すると・・・

 アフリカ大陸から移動してきた人類の一部が、朝鮮半島がアジア大陸本土に接続するつけ根と思われる地で、「安住の地」として長く暮らしていたが、あるとき、天変地変が起こる。
──(本署11ページ)遠い雷鳴のような音が聞こえてきた。小さな石がその場で踊り出し、なかには丘を転がり落ちてくるものもあった。大地が太い網にかかった〈鋭い牙〉のごとくのたうちはじめ、ばらばらに裂けた。一族はあまりの異変に泣き叫んだが、足元がぐらついて逃げることもかなわず、転がり落ちる大石で押し潰される者もおり、だれ一人として立っていることができなかった。── と、大地震か大噴火が起こる。
 そして海辺に避難した一族へ ──(本署12~13ページ)そのとき、一族の叫び声のかなたに遠い音を聞きつける者たちがいた。同時に、砂地がみるみる広がって海がすっかり退き、われらの入り江から水が消えたのである。── 広がった砂地を求めて山を降りてくる者たちから、口々に大きな叫び声が上がった。「あぶないぞ」、「海から離れろ」、「海が大きな壁になって押し寄せてくる」、と。── そして人びとの目の前に、身を守ってくれるはずの海が見えた。食べ物や喜びを与えてくれる恵みの海が見えた。彼らの世界の中心であるはずのその海が、怒れる山のごとく、憤れる熊のごとく、荒れ狂う嵐のごとく立ち上がったのだ。── このように大津波が襲う。

 このような天変地変が繰り返されて、彼ら一族はリーダー格だった「長(おさ)びと」集団も失い、自分たちだけで、自分たち全員が知恵を出し合う「節度ある話し合い」の知恵を編み出し、「子どもたちの子どもたちの子どもたちのために」新たな安住の地を求める旅に出るのだ。
 それは、当時、陸続きであった北アメリカ大陸である。しかし、ユーラシア大陸北アメリカ大陸の間にはベーリング海峡がある。

 ベーリング海峡についてネットで調べてみたら「世界史の窓」というページに「地球上で繰り返された氷期の最後の時期は、7万3000年前頃に始まり、途中の中だるみ期を経て、2万5000年前ごろから再び寒気が強まった。この氷期には、地表面の水が氷結し1000~2000mの厚さで地球上を蔽っていた。そのため海水面は現在より100mほど低下していた。現在のベーリング海峡は水深が42mほどしかないので、氷期には海底が広い範囲で露出し、南北の幅が1000kmの陸橋ができた。この陸橋部を名づけてベーリンジアという。」しかし「2万5000年前頃から、温暖化で海水面が上昇しはじめベーリング海峡が形成された。」と記載されている。

 本書では、約1万100年頃と推測し書かれているので「陸橋」が「海峡」に変わった時期である。
 海水に隠れ尖った部分しか出ていない岩、押し寄せる波に洗われながら、滑る岩肌に体を結びながら、子どもたちを背負い、食糧を背負うことが出来ない者の荷物は力のある者が背負い、知恵と勇気ある者が先導としんがりをつとめながら、知恵をしぼり渡るために作った「大いなる綱」を使って、この難所を一体となって渡る様が描かれている。 
 その難所の〈海辺の渡り〉をしたのは、──(本書55ページ)一族の中で荷物を背負う力があったのは三五人。そこまで力のない者が一七人。そのうち三人はずっと人に運ばれなければならなかった。──と、総勢52人と記されている。

 そしてアメリカ大陸に渡った後も、次々と遭遇する難局。それを乗り越え得た団結の源は「子どもたちの子どもたちの子どもたちが、私たちの日々の暮らしぶりを喜びとすることができるような安住の地を探すこと」にあり、「目的というものがなければ、彼らはたんなるさすらいの民になりかねなかった。さまよう〈大いなる群れ〉を追って生きる、いくつかの民のように」と、彼ら一族の目的意識を確認しながら歩き続けるのだ。

 

 これらの物語の展開に、僕は再読しながら、彼らの「節度ある話し合い」によって、知恵を出し合い、一体で実践する姿に、さらに新鮮な感動を覚えるのだ。