「住みやすさ・生きやすさ」のひととひとの関係とは?

 森川すいめい著『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』を読んだ。
 著者は、精神科医であり、池袋のクリニック院長であり、20年間、路上生活者の支援活動や、東日本大震災の支援活動などボランティア活動家でもある。
 先日、妻が「森川すいめいという先生、知っているのよ。その先生が本を出したから読みたいの。探して買ってきて」と言われた本だ。
 妻が読み終わったので、僕も読んでみようと開いてみたら、何と「生きやすさとは何か」を、自殺希少地域(自殺で亡くなるひとが少ない地域)のフィールドワークで考察した本だった。

     

 本書は、こんな書き出しから始まる。
── 私は生きやすさとは何かを知りたかった。
 私は精神科医である。そして一九九五年からずっとこころに関するボランティア活動を続けている。今はクリニックの院長として、精神的なことで困っているひとへの訪問診療や往診外来診療を行っている。ひとは生きやすさのヒントを私に求める。しかし、その生きやすさの答えはいつも医学の外にあると感じていた。 ──


 そんな著者が衝撃的に出会ったのが、当時、慶應義塾大学大学院生の岡檀(おかまゆみ)さん(現在、和歌山県立医科大学保健看護学部講師)の「自殺希少地域」の研究報告本『生き心地の良い町-この自殺率の低さには理由がある』だったと書いている。
 実はこの岡檀さんの著書は、4年前に三重県ヤマギシの村・春日山実顕地のサガワさんから「読んでみる?」と渡され借りて読んだ本だったことは、先日ブログに書いた。

 著者の森川すいめいさんは、岡檀さんの研究に触発されて、5ヵ所6回、日本の「自殺希少地域」を訪ねて、その「自殺率の低さには理由がある」を考察し「生きやすさとは何か」を考察したのだ。

 著者が、先ず訪ねたのは、岡檀さんが4年通い続けたという徳島県の旧海部町(現在は海陽町)だ。
 例えば、ここではこのようなことが書かれている。
 旧海部町には昔から「病、市(いち)に出せ」と大切にしている言葉がある。悩み事は内にためず、どんどん市、自分の住む空間に出しなさいという教訓。そして「困っていることが解決するまでかかわる」人間関係。しかし、それは必ずしも緊密な関係ではないが、お互いが多様であることを知っていて、それをよく分かり合っている関係だから、助け合うことができる。
 そしてここには、「人生は何かあるもんだ」で生まれた組織「朋輩組」が昔からある。同世代で構成され、入会脱会は自由意志、様々な知識を持っているのを寄せ合って問題を解決する。
 著者はそのような組織についてこのように書いている。
 「チームやグループが地域で作られるときは、何かの困りごとに対して作られる。このとき二つのタイプがある。問題があることを前提に問題があったときに動く組織と、問題が起こらないように見守るための組織だ。」「何も起こらないようにする組織は管理や監視が強い。規則も多い。何か問題が発生したときの問題解決能力は弱い。問題が解決した後で再び問題が起こらないようにまたルールが生まれる。しかし社会は常に変化する。綿密に作られたルールはあっという間に陳腐化する。ルールそのものが組織の機動性を奪い組織存続を危うくする。ルールだらけになっていく。一方で、何かあるのが当然としてこれを解決しようとする組織は変化に対応できる。変化に対応することを主眼とするから、ルールは最小限になる。ルールは機動力を下げると知っているからである。」
 生きやすい地域での組織は、どうあるべきかを示唆している。

 その後、青森県風間浦村、旧平舘村(現・外ヶ浜町)や、広島県下蒲刈島や、伊豆七島神津島などを訪ね、それぞれの地域で、人々に会い話を聞きながら、そこの人たちにふれ「生きやすさとは何か」を考察している。それは地域地域で特色がありながらも、そこに流れている共通する貴重な体験報告となっている。それらもここに記したいと思う示唆に富んだ内容だが、興味ある人は本書を読んでいただくとして、ここでは割愛する。

 最後に著者は、
── 自殺希少地域にいたひとたちは、とてもコミュニケーションに慣れていると感じた。 それをもう少し違うことばで表現すると、よく対話をしていると感じた。相手のことばをよく聞き、それに対して自分はどう思うかを話し、そしてまた相手がそれに対して反応する。ことばが一方通行にならないように対話をよくしている。
 そして、自殺希少地域のひとたちは、相手の反応に合わせて自分がどう感じてどう動くかに慣れていように感じた。それは、相手を変えようとしない力かもしれない。「相手は変えられない、変えられるのは自分」
 自殺希少地域のひとたちは、大自然との対話をよくしているようだった。厳しい自然があって、相手を変えることはできない。よって、自分を変える。工夫する力を得る。相手の動きとよく対話をして新しい工夫をしていく。工夫する力、工夫する習慣は、このようにして身に付き、そして他の困難に直面したときも工夫する習慣が助けになっていく。──

 そして、大切なのは「対話する力」と次のように7つの原則としてまとめている。
①「困っているひとがいたら、今、即、助ける」(即時に助ける)
② ひととひとの関係は疎で多(困ったひとがいたら、できることはする。できないことは地域のひとたちと相談し、自分のできる方法でよってたかって助ける)
③ 意思決定は現場で行う(現場が行うから、現場で実行し、うまくいってもうまくいかなくてもそれは現場にフィードバックされる。フィードバックを受けて現場ではまた何かを考え工夫していく)
④ この地域のひとたちは、見て見ぬふりができないひとたち(できることは助ける、できないことは相談する、相談を受けたひと、問題に気付いたひとが、責任を持って何とかする。困りごとが解決するとわかるまで付き添う)
⑤ 解決するまでかかわり続ける心理的なつながりの連続性)
⑥「なるようになる。なるようにしかならない」(外の世界は変化する。明日は不確かである。相手は変えられない。ゆえに変えようとはしない)
⑦ 相手は変えられない。変えられるのは自分(相手のことば、行動、変化を見て、自分はどう感じ、自分はどう反応するかが決まる。それによって相手をどうこうしようとはしない。自分がどう変わるかである。その変わった自分を、またその相手は見ることになる。その相手はまた、変化した自分を見て、それに反応するように変わっていく。対話主義そのもの)

 このように、これら全ては「対話によって生まれ、対話することで守られ」、助言したり相手を変えようとしたときはうまくいかないと述べている。

 最後に著者は「私がここに記録したのは、私の解釈にすぎないから、これが正しいなどと言うことはできない。ただ、追い詰めたり孤立させたりしないことはできるということは確かだと思う」と書き「本書が何かを考えるきっかけになってもらえたらということである」と結んでいる。

 私たちが、「住みよい、仲良い社会づくり」として、考え、実践する上での大切なことを多々、示唆している内容に思えた書籍だった。

 読後の最後になるが、著者がタイトルを「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」としたのは、自殺希少地域というのは「自分をしっかりともっていて、それを周りもしっかりと受け止めている地域である」という意味が込められていると気付いた。