町田そのこ著『52ヘルツのクジラたち』を読む

 全国の書店員が「いちばん売りたい本」として選ぶ「本屋大賞を、僕は「読んでみて裏切ることはない」と結構信頼している。
 この、町田そのこさんの作品も、「2021年本屋大賞第1位」となった本で、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルにも「何だろう、どんな物語なんだろう?」と気になっていた。
 今回はメルカリでゲットして読んだ。

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 タイトルから、ちょっとメルヘン的なイメージを持っていたのだが、著者の町田さんが物語の題材にしているのはとんでもない重たいテーマを含んだもので、単なるメルヘンチックでなく、「世界でもっとも孤独な鯨」と言われる「52ヘルツで鳴くクジラ」のロマンチックイメージを膨らませて、現代社会の重たいテーマを取り上げても、読者にそれを押しつけるでなしに、読者を惹きつける素晴らしさに、著者の町田さんの筆力を感じる作品だった。

 

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 では、「52ヘルツで鳴くクジラ」とは、どんな鯨なのか、2日前のブログに書いたのでここでは省略するが、世界の海の中で一頭だけ、非常に珍しい52ヘルツの周波数で鳴くために、他の鯨の群れから離れて生存が確認されている鯨なのである。

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 母親の再婚によって幼い頃から義父と母親から虐待を受け育つ主人公。
 自殺寸前で高校の同級生と、その同僚に出会い救出され、仕事も得て社会生活を歩み出すが、しかし幸せな生活は長続きせず、自分を新たな世界に導いてくれると思った大好きな恋人からも裏切られ、人付き合いを断つ為に、昔、祖母が住んでいた大分県の小さな港町で生活を始める。
 そこで出会った言葉を発しない少年。
 「この子からは、自分と同じ匂いがする。親から愛情を注がれていない、孤独の匂い。この匂いが、彼から言葉を奪っているのではないかと思う。この匂いはとても厄介だ。どれだけ丁寧に洗っても、消えない。孤独の匂いは肌でも肉でもなく、心に滲(し)みつくものなのだ。この匂いを消せたというひとがいたら、そのひとは豊になったのだと思う。海にインクを垂らせば薄まって見えなくなってしまうように、心の中にある水が広く豊に、海のようになれば、滲みついた孤独は薄まって匂わなくなる。そんなひとはとてもしあわせだと思う。だけど、いつまでも鼻腔をくすぐる匂いに倦(う)みながら、濁った水を抱えて生きているひともいる。わたしのように。」
 この少年と、「52ヘルツで鳴く鯨の声」を求めて物語は展開する。

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 それは「52ヘルツのクジラ、世界で一番孤独だと言われているクジラ。その声は広大な海で確かに響いているのに、受け止める仲間はどこにもいない。誰にも届かない歌声をあげ続けているクジラは存在こそ発見されているけど、実際の姿は今も確認されていないという。他の仲間と周波数が違うから、仲間とであることもできないんだって、例えば群れがものすごく近くにいたとしても、直ぐに触れあえる位置にいても気付かないまますれ違う」「本当はたくさんの仲間がいるのに、になも届かない。何も届けられない。それはどれだけ、孤独だろう」「いまもどこかの海で、届かない声を待ちながら自分の声を届けようと歌っているんだろうなあ」「わたしも、昔52ヘルツの声をあげていた。それは長い間誰にも届かなかったけど、たったひとり、受け止めてくれたひとがいたんだよ」「あんたには、もっと仲間がいるかもいれない。この世のどこかででっかい群がいるかもしれない。ううん、きっといる。だからわたしがそのひとたちのところまで、連れていってあげる。わたしが連れていってもらえたように」「前に、わたしはわたしの声を聴いてくれたひとの声を聴けなかったと言ったでしょ。そのせいで、死なせてしまったの。そのことがずっと辛くて、自分を許せなかった。わたしがあんたにしようとしたことは、そのひとに対する、できもしない贖罪だった」と、小さな港町の狭い世界ではあるが、人間味ある人たちの中で、言葉の発しない少年との生活と心の交流が展開する。

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 そして物語の最後に主人公は「贖罪がいつしか、わたしを生かすようになってた。あんたのことを考えて、あんたのことで怒って、泣いて、そしたら死んだと思っていた何かが、ゆっくりと息を吹き返してたんだ。わたしはあんたを救おうとしてたんじゃない。あんたと関わることで、救われたんだ」と気付く。
 連れ子、虐待、障害、不倫、トランスジェンダー、いじめ、などなど、盛りだくさんの現代社会の重たいテーマを織り交ぜなから、そんな中でぎこちなく生き続ける人間の、生きる希望を見出す、温かい物語なのだ。