映画『 大河への道 』を観て伊能忠敬の偉業を確認する

 前回映画を観たのはいつだったろうと思うくらい、暫くぶりの映画鑑賞。
 その、暫くぶりで観た映画は、中井貴一主演の『 大河への道 』
 先日、テレビで中井貴一が製作過程や、出演しての感想などを語っていて、それを聞いて興味がわいたことと、江戸時代に伊能忠敬がつくった『 伊能図 』制作を、どの様に描いているのかにも興味があった。

               

 この映画は、落語家の立川志の輔伊能忠敬物語―大河への道― 』が原作だ。
 立川志の輔が千葉県香取市佐原にある「伊能忠敬記念館」を訪れた際に、伊能忠敬が製作した日本地図が、衛星写真と大きく違わないのを観て感動し、その感動を創作落語として演じている物語の映画化。
 しかし、この物語の主人公は伊能忠敬ではない。
 伊能忠敬の偉業と言われている『 大日本沿海輿地全図 』の完成は1821年。しかし、伊能忠敬は最後の測量を終え、地図の作成を始める1818年に死亡しているのが史実だ。
 伊能忠敬・年表にも、
  文化15年(1818年)4月13日・74歳で死去、喪を秘して地図製作を続行。
  文政4年(1821年)没後、『 大日本沿海輿地全図 』完成、3ヶ月後喪を公表。
 と記されている。
 では、『 大日本沿海輿地全図 』はどう制作され存在して、伊能忠敬の偉業となっているのか。
 そこにスポットを当て物語にしたのが、立川志の輔の『 伊能忠敬物語―大河への道―』という落語であり、この映画なのだ。

               

 物語は、幕府天文方の高橋景保伊能忠敬の遺志を継いだ弟子たちが、伊能忠敬の死亡が公になると幕府は多大な製作費用を出し惜しみ、『 大日本沿海輿地全図 』製作は中止され後世に残せないと、伊能忠敬の死亡を一切伏せたまま、それが発覚しないように工夫しつつ、寝るのも惜しみ3年の歳月をかけて、何が何でも完成させようと奮闘する「伊能忠敬が一切出てこない伊能忠敬物語」となっているのだ。

               

 ストーリーの展開は、千葉県香取市役所に伊能忠敬を主人公にした「大河ドラマ」で観光促進をしようと、プロジェクトが立ち上がる。しかし「あの正確無比な日本地図を作ったのは実は伊能忠敬ではない」という噂が流れて、大河ドラマ制作が暗礁に乗り上げようとしているさまを描く現代の喜劇と、200年前の日本地図完成を巡る感動の物語を描く時代劇を織り交ぜている。
 そのために、中井貴一松山ケンイチ北川景子などのキャスト陣は、令和と江戸の時代で繰り広げられる物語を一人二役で演じるのが面白い。

                     

 『 大日本沿海輿地全図 』の完成時には、伊能忠敬はすでになくなっていたという史実と、しかし、やっぱり「これは伊能忠敬の偉業である」と再確認できる物語になっているところを描いているのが、実にいいし、感動の物語として、観る価値がある映画だと満足した。