宮本常一著『 忘れられた日本人 』再読

 昔読んだという記憶はあるが内容までの記憶は定かでない宮本常一著『 忘れられた日本人 』は、9月末に亡くなった佐野眞一さんのルポルタージュ『 旅する巨人 宮本常一渋沢敬三を読んだ以降、もう一度読んでみたいと思っていた。
 現在、腰痛の悪化であまり出歩けない。妻の本棚を物色していたら、出てきたのがこの『 忘れられた日本人 』だった。

     

 佐野眞一さんのルポルタージュによれば、宮本常一の民族調査の旅は、日本列島のすみずみまで歩き、1日当たり40キロ、のべ日数にして4000日に及ぶと書き、次の様な記述がある。

「宮本は七十三年の生涯に合計十六万キロ、地球を丁度四周する気の遠くなるような行程を、ズック靴をはき、よごれたリックサックの負い革にコウモリ傘をつり下げて、ただひたすら自分の足だけで歩きつづけた。泊めてもらった民家は千軒を越えた」
「宮本はよく旅の巨人と言われる。しかし、その大きさは、歩いた距離にあるわけではなかった。宮本の本当の大きさは、歴史というタテ軸と、移動というヨコ軸を交差させながら、この日本列島に生きた人々を深い愛情をもって丸ごととらえようとした。その視点のダイナミズムとスケールにあった」と評している。

 今回、『 忘れられた日本人 』を再読して、改めて凄い民族学者だったと再認識。
 宮本は、彼の記述を借りれば、「文字に縁のうすい人たちは、自分をまもり、自分のしなければならない事は誠実にはたし、また隣人を愛し、どこかに底ぬけの明るいところを持っており、また共通して時間の観念に乏しかった。〝今何時だ〟などと聞くことは絶対になかった。女の方から〝飯だ〟といえば〝そうか〟と言って食い、日が暮れれば〝暗うなった〟という程度である。ただ朝だけは滅法に早い」と表現しているような古老相手に、「とにかく朝から夜半まで、ぶっとおしに、食事と便所のほかには動きもしないで話をきいたのである」と、ボイスレコーダーがなかった時代に、村々の老人達の言葉を聞き取り、事細かく丹念に記録していることに驚く。

 本書の内容は、明治から昭和にかけての村々の、伝統や文化、暮らしの営み、性生活まで含み、赤裸々に実際に生きた人たちの姿が記録されている。
 偉大な民俗学者宮本常一という人物が残した貴重な記録であることには間違いがない。