だいぶ春らしい気温になってきた。
昨日は4月下旬の気温で、今日も18℃と暖かい一日だった。
春の花々も、いろいろと咲いていて、道歩くのも楽しい。
タンポポも咲き出した。
◇畑の草取り
妻が「春になったら草が出てきたよ~」とSOS発信。
そんなことで、金曜日から午前中の2時間ほど、妻達が地域のデイサービスで認知症や引きこもりの青年達の活動の場として耕作している畑の草取りをする。
今日も朝7時からのファーム町田店の開店準備が終わった後、午前中の2時間ほど草引きをした。
◇会の機関紙「けんさん」編集中
3月には機関紙「けんさん」を発行しようと、現在、原稿を集めて編集中だ。
投稿依頼などの締め切りは15日。集まりだした原稿から編集している。
そして今日は午後から、「けんさん」を全国の会員宅に送付するためのタックシール作成に、キョウコさん夫妻が案内所に来てくれて作業をしてくれた。
キョウコさんは埼玉県在住なので、旦那さんが車を運転して2人で来てくれたのだ。
今月末までには、全国の会員宅に届けたいと思っている。
◇オンラインで養老孟司さんの講演を聴く
午後1時から「朝日新聞Reライフフェスティバル2022春」で1時間の養老孟司さんの講演があった。
タイトルは『コロナと「人の壁」』
◇山川徹著『 カルピスを作った男 』を読む
この本は、新聞の文庫紹介に「日本人の誰もが知る国民的飲料〝カルピス〟のルーツはモンゴル。カルピスの生みの親・三島雲海は、モンゴル遊牧民の発酵食品にヒントを得た。その三島雲海の知られざる生涯を描く」とあったので読んでみた。
本書は、三島雲海の生い立ちから青年期の波瀾万丈な生き方と足跡を、関係者の証言、残された資料をもとに丹念に調べ、さらに内モンゴルまで取材に行って描いた、なかなか読み応えあるノンフィクション作品だった。
三島雲海と言う人物について記しておこう。
三島は、1878年(明治11年)大阪府箕面市の貧しい寺に生まれ仏教を学んだ僧侶。24歳の時に志を抱いて中国大陸へ。馬の買い付けなど仕事で訪れた内モンゴルの地で、遊牧民の食している発酵乳に出会う。胃腸の弱かった三島はその効力に気付く。
1915年(大正4年)帰国後、内モンゴルでの体験をもとに、乳酸菌を活用した食品の事業化に取組む。1919年(大正8年)7月7日七夕の日に、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」を発売。
「カル」はカルシウム、「ピス」はおいしさを表すサンスクリット語から自身が命名。水玉のデザインは天の川、銀河の流星をかたちどったもの。
三島は「カルピス」を日本を代表する飲み物に育て、1970年(昭和45年)91歳で勇退するまで第一線で経営にたずさわる。
1962年(昭和37年)84歳のときに『今日自分があるのは、先輩、友人、知己の支援、カルピスに対する国民の絶大な支持の賜物であり、その事業で得た財物は私するものでなく、世の中にお返しすべきものである。』『これからますます日本が立派な国になり、人びとが豊かで幸せな生活をおくるためには、すぐれた研究者の育成が欠かせない。』と全私財を投じ三島海雲記念財団を設立し若手研究者に対して研究助成をしている。
三島海雲とは、そんな明治生まれの人物なのである。
最近読んだ佐野眞一著『 旅する巨人 』の宮本常一を支えた渋沢敬三といい、朝井まかて著『 ボタニカ 』の牧野富太郎を援助した池長孟といい、同じように私財を社会のためにと投じた明治の三島海雲という人物が、ここにもいたと知る。
参考までに「三島海雲記念財団」の三島海雲学術賞は「自然科学及び人文科学の研究領域において、創造性に富み、とりわけ優れた研究能力を有する若手研究者(45歳未満)を顕彰し、その研究の発展を支援することを目的」としている。