帚木蓬生著 『 水神 』(上)を読む

 帚木蓬生さんの 『 天に星 地に花 』 を6月に読んで、帚木蓬生さんの他の作品も読みたいと思っていた。
 そんな時に、お盆で姉の仏前にお線香をあげに義兄宅を訪れたら、義兄の本棚に『 水神 』(上)(下)があって、「読みたい本があったら、持っていっていいよ。」と言う言葉に甘えて、いただいて来たのがこの本だ。
         
 時は1660年代、舞台は九州、筑後の国・久留米藩の江南原という農村地帯。
 筑後川の大きな流れを目の前にしながら、この一帯は高台で水を引くことができない荒れた土地。
 ここで稲作をするには、「打桶」と言って、土手から7〜8メートル下を流れる筑後川の水を、桶を川面に投げて2人がかりで汲み上げ、溝に流し込み田んぼを潤すしかない。
 オイッサ エットナ。
 オイッサ エットナ。
 朝もまだ明けきらぬうちから、手元が見えなくなる夕べまで、「打桶」をする2人のかけ声が響く。
 「打桶」をするものは、本来の作物を作る百姓仕事は出来ず、一生その仕事だけを続ける役目にあるという。
 稲作には不適な土地柄であるうえ、天災もあり、年貢に苦しむ村々。
 「水飲み百姓」と言う言葉があるが、まさにそんな農民の過酷な暮らしぶりの一日、一年を、詳細かつ克明に描いて物語は展開する。
 このような農民の暮らしは自分の代で終わらせたいと、5つの村の庄屋達が立ち上がる。
 筑後川を堰き止め、農業用水確保の計画を藩役人に願い出る。
 5人の庄屋達の、全財産と命をかけてまでも成功させるという意気込みと、団結心。
 それが完成すれば、「オイッサ エットナ」のかけ声の「打桶」の仕事から解放される。
 「オイッサ エットナ」のかけ声は、この物語(上)全編に流れるのだが、念願の堰渠工事の許可がおりる目途が付き、希望の光を帯びたかけ声となって(上)は終わる。