帚木蓬生著 『 水神 』(上)については、今週の初めに記した。
今回は、(下)も読み終えたので、(上)で記したことを補足しながら(上)(下)全編について記したいと思う。
著者の帚木蓬生さんは、この本を刊行した当時の朝日新聞のインタビューで、このように述べている。
「時代小説は多いですが、田舎や百姓がなかなか出てこない。江戸時代の人口の多くは百姓なのに。だったら自分が書くしかない、と」
確かに、この小説は、時代小説であり、稲作に不向きな土地で、自然災害にも見舞われ、収穫のほとんどを年貢にとられ、それでも生き続ける、まさに「水呑み百姓」と、そこを治める庄屋たちの物語である。
同時の、この小説は、その稲作に向かない不耕の地を灌漑(かんがい)事業によって、豊かな耕作地に変えたという史実をもととした記録的フィクションの物語でもある。
物語の舞台は、1660年代の江戸時代初期。
九州、筑後の国・久留米藩の江南原という農村地帯。
筑後川の大きな流れを目の前にしながら、この一帯は高台で水を引くことができない荒れた土地。
ここで稲作をするには、「打桶」と言って、土手から7〜8メートル下を流れる筑後川の水を、桶を川面に投げて2人がかりで汲み上げ、溝に流し込み田んぼを潤すしかない。
オイッサ エットナ。
オイッサ エットナ。
朝もまだ明けきらぬうちから、手元が見えなくなる夕べまで、「打桶」をする2人のかけ声が響く。
「打桶」をするものは、本来の作物を作る百姓仕事は出来ず、一生その仕事だけを続ける役目にあるという。
適切な時期に十分な水の確保が出来ず、稲作には不適な土地柄であるうえ、天災もあり、年貢にも事欠くという苦難の村々。
「水呑百姓」と言う言葉があるが、まさにそんな農民の過酷な暮らしぶりの一日、一年を、詳細かつ克明に描いて物語は展開する。
このような農民の暮らしは自分の代で終わらせたいと、5つの村の庄屋達が立ち上がる。
財政苦しい藩に願い出ても実現できないので、立ち上がった5人の庄屋たちは、その費用を自分たちが負担して、筑後川を堰き止め、農業用水を確保するという灌漑事業計画を藩役人に願い出る。
それはまさに、藩の面目を保ちつつ、誓詞血判書まで請願書に付けた先祖代々の身代(しんだい)と命をもかけた大事業の申請なのだ。
藩は、この大事業を許可するが、事業が失敗したときの責任は5人の庄屋にあると、5本の磔柱を工事現場にまで立てて、各村々から駆り出された人足に見せしめながら工事を行う。
そして、完成間近な試し取水で起こった事故。
5庄屋は罰を覚悟するが、この大事業を支持し見守り続け、庄屋と百姓に何かと力になっていた郡下奉行の老侍が、密かに、その責任を自分一人で負い、事業続行の「嘆願書」を藩主宛てにしたため切腹する。
そして、ついに念願の灌漑工事が完成し、村々の大地を潤す「水」が流れるのだ。
その大事業の苦難な完成までの一部始終を、そこに関わる人たちの詳細な描写と、工事過程を丹念に描いている。
果たして、この大事業を成し遂げるに「水神」だったのは、切腹までした老侍か、身代と命までかけた庄屋の中にいたのか、はたまた念願の「水」を得るために苦難の作業に従事した農民たちの中に存在しているのか、読後の感動に浸りながら、暫し、考えを巡らしてしまった物語だった。