帚木蓬生著『 守教(上・下)』を読み終わる

 僕の読書時間は、今まで通勤電車内だったのが、新型コロナウイルス問題でステイホームが多くなって、その時間が少なくなると、必然的に読書ペースも落ちる。
 部屋で過ごすと、どうしてもTVを点けてしまうが、最近はこれといったドラマも少ないので、コロナニュース関連を観るだけにして、何とかこの長編歴史小説を読み終わった。

 

 僕は今まで、帚木さんの故郷・福岡県久留米市を舞台にした歴史小説は、新田次郎文学賞を受賞した『 水神 』と、『 天に星 地に花 』を読んだことがある。
 『 水神 』は、江戸初期にに有馬藩の五庄屋と百姓たちが、筑後川の苦難の灌漑工事で、豊かな耕作地へと変えた物語だったし、『 天に星 地に花 』は、江戸中期の久留米藩内の圧政に苦しむ百姓たちが起こした2つの一揆と、百姓たちの生活や季節季節の行事を丹念に描きながら、民百姓に心を寄せて「赤ひげ」的医療を施し続ける医師を主人公にした作品だった。
 今回読んだ『 守教 』も、この2つの作品同様、帚木さんの故郷・福岡県久留米市を舞台にしている。

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 物語は1569年(永禄12年)の戦国期、農民へのキリスト教布教から始まる。
 主人公は、キリシタン大名で有名な大友宗麟から「いかに小さくても、デウス・イエズスの王国を築いてくれ」と命ぜられ、武士から大庄屋になった一万田右馬助と、その右馬助の養子となった捨て子の米助、それに続く子孫たちである。
 上巻では、大殿(大友宗麟)の遺志を実現させるために、貧しい農民の布教に奔走する日々と、そのかいあって順調に信者が増え、「小さなイエズスの王国」が実現しそうになるが、しかし、信長の死後、秀吉からの2度の禁教令が発せられ、殉教者も出るという弾圧を受けながらも、脈々と静かに深く、農民たちは信仰を続けていく様子が描かれている。
 下巻では、江戸時代に入り、さらにキリシタン弾圧が厳しくなり、拷問、磔刑などの苛烈を極める様子と、それでも棄教せずに、表向きは仏教徒を装いながら、キリストの信仰を守り続ける百姓たちの様子、神父や宣教師たちが潜伏しながらの布教の様子など、殉教、追放、密告などの様子を詳細に描き、時は約300年後の1873年(明治6年)、欧米した岩倉具視使節団の不平等条約改正交渉が、信仰の自由を認めない限り不可能との外圧によって、開教が成されるまでが描かれている。

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 更に僕は認識を新たにしたことがある。
 1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名大友宗麟大村純忠有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年「天正遣欧少年使節」の帰国後の彼らの生涯。
 ペトロ岐部(日本名・本名: 岐部茂勝)が、あの時代に日本人として初めてエルサレムまで行っていたという事実。
 日本が世界でいちばん多い4千人もの殉教者を出したということ。

 

 隠れキリシタンの物語は、有名な遠藤周作の『沈黙』などもあるが、この 『 守教 』もそれに劣らない大作であることは確かだと思う。