昨日、静岡方面に農産物の配送に行ったイナダ君が写した富士山。
新型コロナウイルス騒動で明け暮れている4月も、もう最後の週末を迎える。
東京都内の今日の感染確認者数は161人。昨日よりも増えている。
我が町田市でも感染確認者は今日は+1人、トータル41人と増えている。
今日の東京は晴れ。
朝9時から、シカタさんとキミエさんと僕の3人で、自家消費のタケノコを掘りに行く。
午後1時からは、Zoomを使って全国9名のメンバーで状況報告。
このネット機能Zoomで、研鑽会ができるかどうかの試験中。
次回からは、テーマを決めて話し合いたいと思っている。
◇今日のPhoto
不要不急の外出を避けて、自室で過ごしていても、夕方になるとやっぱり外を歩きたくなって、出来るだけ人通りの少ない道を選んで散歩に出る。
目に付くのは、公園の花々。
つつじがきれいだ。
モクレンと藤の花もきれいだ。
◇帚木蓬生さんの文庫本『 守教 』(上)を読み終える
この物語は、隠れキリシタンたちの話なのだが、1569年(永禄12年)、北九州の日田や秋月の農民へのキリスト教布教から始まる。
どうして、キリスト教が九州北部で、大名や武士、農民までに布教し、信仰を得ていくのか、その詳細な歴史が描かれていた。
大友宗麟から「いかに小さくても、デウス・イエズスの王国を築いてくれ」と命ぜられ、武士から大庄屋になった一万田右馬助。その右馬助の養子となった捨て子の米助が、貧しい農民に布教し、大殿(大友宗麟)の遺志を実現させるために奔走する。
順調な布教活動で信者が増え、「小さなイエズスの王国」が実現しそうになるが、信長の死後、秀吉からの2度の禁教令が発せられ、殉教者も出る。
そんな弾圧を受けながらも、脈々と静かに深く、農民たちは信仰を続けていく。
秀吉の死後、一時は禁教令の取り締まりが緩くなる兆しがあるが、果たして徳川家康はどうするか。
(上)はそこで終わり(下)に引き継いでいる。
大名から農民まで、どのようにして布教がなされ、どのようにして「守教」されたのか。果たして江戸時代は・・・と、興味深い内容だ。