今年6月に読んだのが、帚木蓬生著『 天に星 地に花 』(上)(下)。
著者の帚木蓬生(ははきぎほうせい)さんは、医師(精神科医)である。
物語は、江戸中期の筑後国(福岡県)久留米藩内の、圧政に苦しむ百姓たちが起こした2つの一揆(1728年と1754年)と、百姓たちの生活や季節季節の行事を丹念に描きながら、民百姓に心を寄せて「赤ひげ」的医療を施し続ける医師を主人公にした作品である。
主人公は、大庄屋の息子(次男)に生まれ、幼い頃にかかった疱瘡がきっかけで医師の道を志し、自分の命を救ってくれた医師の元で修行し、圧政に苦しみながらも生き続ける民百姓たちの生活に密着した、慈愛に満ちた崇高な医師として成長する。
農民たちが起こした2度の一揆。
1度目は危ういところで押しとどめられ、2度目の一揆は打ち壊しにまで及んで、首謀したかどで処罰を受け、多くの犠牲者まで出した。
1度目の一揆には、民百姓に心を寄せる家老がいたが、2度目の一揆勃発時には、それにかわる藩の重臣がいなかった。
その民百姓に心を寄せた家老が、座右の銘としていたのが、『 天に星 地に花 人に慈愛 』である。
主人公は、その言葉を書した医師でもあり、自分の命を救ってくれた医師の元で修行し、医師として 『 天に星 地に花 人に慈愛 』を生涯実践する。
物語の「終章」には、主人公が医をもって生きた自分を、このように語る。
『自分が成し遂げたのは決して大事業ではない。ひたすら、師である鎮水先生の教えを墨守しただけだ。
〈貴賎貧富にかかわらず、診療には丁寧、反復、婆心を尽くせ〉
〈医師たるもの、救世救苦を使命とせよ〉
さらに三つの戒めとして、思い上がり、欲への迷い、責任の放棄を禁じていた。そして病人を診るたび、胸に去来する鎮水先生の言葉がある。
祈りだった。
(一部略) 医の手で人事を尽くしたあと、病が軽快し、癒えるかどうかについては、もう自分の力を超えた。祈るしかなかったのだ。』
そして、主人公は医師としての生き方を、次のように語る。
『天に星があるならば、このような死に至る病を人に押しつけないのではないだろうか、いや、そもそも、飢えがはびこっているのも、もとはといえば、天の仕業ではないか。
そう考えると、天はもともと漆黒なのかもしれない。その中に、ぽつりぽつりと星がきらめいているだけなのだ。この大地も漆黒、人の世も漆黒。だからこそ、花の美しさが映え、人の慈愛が際立ってくるのかもしれない。』『医師の仕事とは、漆黒の天に星を見、漆黒の地に花を見出し、漆黒の人の世に、わずかなりとも慈愛を施すこと・・・』
実に、心洗われる思いで読み終わった。
作品の「後記」には、主人公(高松凌水)の子孫の事に触れて、「高松家の血筋を引く医師に、幕末から明治、大正にわたって活躍した高松凌雲がいる。」と書かれている。
高松凌雲とは、幕末、蝦夷地に幕臣の国を作ろうとした榎本武揚らに合流し、箱館戦争に医師として参加し、箱館病院の院長として、敵味方の差別なく治療に当たった医師である。