この『喜連川の風』シリーズを、僕は第一作から読んでいる。
この題名の「喜連川」は地名で、栃木県のさくら市にある。
そこにヤマギシの村・那須実顕地があるので、僕は時々、喜連川を訪れる。
明日も、ヤマギシの合宿セミナー「特講」開催のことで、喜連川に出張する。
喜連川藩を舞台とした物語なら、話題として読もうと思って、刊行されるたびに読んでいる。
第一作が『喜連川の風 江戸出府』
第二作が『喜連川の風 忠義の架橋』
第三作が『喜連川の風 参勤交代』
そして、今回刊行されたのが『喜連川の風 切腹覚悟』である。
「日本一小さいけれど格式は高い」喜連川藩について、この第四作でも最初に説明している。
この小説を読む上では、大切な予備知識なのである。
要約して説明すると、喜連川藩は次の様な特殊な位置づけの藩なのだ。
実質石高はわずか4千5百石しかない。城もなく藩庁は陣屋。家臣は200人に及ばない。
領内の村はわずか16村(加賀百万石は2110村、宇都宮藩は168村)と、日本で一番弱小藩だ。
しかし、格式は高く、大名とは1万石からと言われる中で、表石高10万石として江戸城では大大名たちと肩を並べる別格扱い。
さらに、参勤交代は免除、人質的要素の妻子を江戸に住むことも免除、全国諸侯に幕府から課せられる数々の普請(土木事業)の賦役も対象外。
徳川将軍家でさえ「御所」号を名乗れるのは将軍が隠居したのちに「大御所」と呼ばれるときだけなのに、喜連川藩主は、領民、家臣、他国の人々からも「御所様」と言われることを許されてた。
なぜか。
喜連川家は、清和源氏の流れを汲む足利将軍家を祖としているからだ。
征夷大将軍を名乗る徳川家としては、その源氏の統領だから、足利家を重んじ優遇して、権威づけるために足利家の血をひく喜連川家を、客分扱いとして尊崇しなければならなかったのだ。
今回の第四作の『喜連川の風 切腹覚悟』は、
不作に苦しむ3村から、年貢免除の陳情書が出される。しかし、狸中老と言われる伊藤竹右衛門は、その陳情にぞんざいな対応。
村民からは不満が噴出、一揆も辞さない覚悟。
本シリーズの主人公、藩の中間管理職・天野一角は、農民と藩(中老)の板挟み。
中老からは、この問題が解決できなければ切腹せよと命じられる。
そんな折、村出身の飯盛り女・おすわに熱を上げている同心・佐野久右衛門が、事件を起こす。
ますます、不信と不満が村人に。問題解決に同僚と苦心する天野一角。
そんな物語の展開で、最後は、見事に藩主の「大御所」から、年貢免除の命を得て、村民にも尊敬され、ますます慕われる主人公の天野一角だ。
今回も、小さな藩での中間管理職の苦労と活躍の物語だった。