稲葉稔著『喜連川の風−忠義の架橋−』を読む

◇本のおしゃべりに入る前に
 昨夜は雨で、見ることができなかった68年ぶりの最接近のスーパームーン
 今夜はきれいに見ることができたので、先ずは、そのPhotoをアップする。
      
      
      
 僕のデジカメではここまで。



◇では、稲葉稔著『喜連川の風−忠義の架橋−』のおしゃべり
 8月に同著名の『喜連川の風−江戸出府−』を読んだ。
 これは、その続編というか稲葉稔著『喜連川の風』の2作目である。
         
 前回も書いたのだが、物語の舞台となっている「喜連川」は、栃木県のヤマギシの村・那須実顕地がある現在のさくら市内の地である。
 そこの「日本一小さいけれど格式は高い」喜連川藩を舞台とした時代小説なのだ。
 そんな訳で、僕にとっては度々訪れる地なので、物語に出てくる地名や風景にも、親しみを覚えて第一作目を読んだ。
 今回も書店の新刊文庫平積みコーナーで、この第二作目を見つけたときに「今度はどんな展開の物語なのだろうか」と思って買って、出張の車中で読んだ。

 今回の『喜連川の風−忠義の架橋−』でも、第一作で主人公だった喜連川藩の中間管理職的ポジションの天野一角が、数々の困難を乗り越える奮闘の物語だ。
 一角は、突然、一ヵ月の期限で橋の架け替えを命じられる。
 藩主に指示された家老が下の者に丸投げしたのが、一角に回ってきたのだ。
 金も人手も足りず奔走する一角。
 その奮闘のさなか、剣の腕が立つことから領内に起こった強盗殺人事件の賊の探索にも駆り出される。
 その事件と橋普請の進捗とが絡み合って、次々と降りかかる難題を解決するのだが、結果的に好結果をもたらして忠義を果たすことができたという物語だった。

 
喜連川藩について
 8月に第一作を読んだときにも、この物語の舞台となっている「日本一小さいけれど格式は高い」喜連川藩について書いたが、ここでも触れておこう。

 実質石高はわずか4千5百石しかない。城もなく藩庁は陣屋。家臣は200人に及ばない。
 領内の村はわずか16村(加賀百万石は2110村、宇都宮藩は168村)と、日本で一番弱小藩だ。
 しかし、格式は高く、大名とは1万石からと言われる中で、表石高10万石として江戸城では大大名たちと肩を並べる別格扱い。
 さらに、参勤交代は免除、人質的要素の妻子を江戸に住むことも免除、全国諸侯に幕府から課せられる数々の普請(土木事業)の賦役も対象外。徳川将軍家でさえ「御所」号を名乗れるのは将軍が隠居したのちに「大御所」と呼ばれるときだけなのに、喜連川藩主は、領民、家臣、他国の人々からも「御所様」と言われることを許されていた。
 それは、喜連川家は、清和源氏の流れを汲む足利将軍家を祖としているからだ。
 征夷大将軍を名乗る徳川家としては、その源氏の統領だから、足利家を重んじ優遇して、権威づけるために足利家の血をひく喜連川家を、客分扱いとして尊崇しなければならなかったのだ。
 そんな、実に特殊な藩なのである。