篠綾子著『 青山に在り 』を読む

 僕は、新聞の書籍広告などで心にとまった書籍記事を、昔は手帳にメモしていたが、最近はスマホで撮って保存している。


 この篠綾子さんの『 青山に在り 』もその一冊だったが、新聞に新刊紹介されて写真を保存したのは一昨年の暮れだった。
 篠綾子さんという作家を、僕は知らなかったし「いつか、読んでみよう」と思って保存していたのだが、お正月にふらっとブックオッフに寄って棚を眺めていたら、目に止まったのが「青山に在り」というタイトル。
 このタイトルが記憶にあって、スマホを探したらやっぱり保存してあった。
 「この本だ~」と思って手にしたら、月夜の夜桜のちょっと幻想的ともいえる絵にタイトルが書かれていて、帯には「幕末の川越藩が舞台の傑作歴史青春小説!」と描かれていた。 
 値段も440円と安い。「こんなきれいなハードカバーの本が・・・」と思いながら、読んでみようと買った。

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 主人公は、川越藩の国家老・小河原左宮の息子・左京という少年。
 左京はある日、城下の村の道場で自分と瓜二つの農民の少年・時蔵と出逢う。
 その時蔵には、従妹・お通という少女がいる。
 この3人が、身分や暮らしの境遇の隔たりを超えて、清く織りなす友情と恋心と、そして葛藤を抱きながら成長していく物語なのだ。

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 主人公の左京は、父・小河原左宮の清廉潔白、高潔な武士の生き方をみながら育つのだが、実は左京と時蔵は、ただの他人のそら似でなく、訳あって乳児の時に拾われ、別々の境遇で育てられた双子だった。
 幕末という激動の時代と、そのような数奇な運命とに翻弄されながらも、それぞれが己に誠実に、まっすぐ生きようとする3人の成長過程が心を打つストーリー。
 タイトルの「青山に在り」は、漢詩の一節で「家青山に在り道自づから尊し」からの言葉で、小河原左宮はこれを「己のいる場所を死所と定めて懸命に生きよ、そうすれば人生はおのずから尊いものとなる」と解釈し、それが武士の生き方、人としての生き方として物語を貫いていて、それが清々しい読後感となって残る。
 さらに、幕末の川越藩前橋藩)の歴史的動向も描かれていて、それも興味を持って読んだ。

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 蛇足になるが、ここに登場する、この物語の主人公・小河原左京の養父で小河原左宮(おがわらさみや)こと小河原政徳(おがわらまさのり)は、幕末動乱の時代の実在の人物である。
 『ウィキペディア』には、このように記されている。
 寛政末年に外国船が来航するようになると、江戸湾防衛の必要性から上総国富津にもいわゆる海防台場・海防陣屋が築かれた(1801年)。その後、白河藩、幕府、忍藩、会津藩柳川藩二本松藩の手を経て、幕末から戊辰戦争がはじまった頃にこの富津陣屋の要害を守備していたのは、上総国内に飛び領4万5千石をもっていた前橋藩だった。
 鳥羽・伏見の戦いの後江戸に帰還した徳川慶喜が謹慎に入ると、前橋藩はいち早く新政府へ恭順の意を示したが、伊庭八郎ら率いる遊撃隊と旧請西藩兵からなる佐幕軍が木更津に結集し、富津陣屋を攻撃する構えを見せた。小河原は旧幕軍の撤退を求めるが、逆に旧幕軍は富津陣屋と台場を武器ごと明け渡すよう要求。富津陣屋には少数の藩兵しかおらず、やむを得ず小河原は奉行(指揮官)の白井宣左衛門に兵士を託して陣屋を無血開城、その場でその責任を負って自害して果てた。
 ところが後日、これが「前橋藩旧幕府軍と内通していた」という噂となって新政府側に伝わり、前橋藩は新政府から厳しい問責を受ける。これを知った白井は、全責任を負うとして自害して果てたため、新政府は前橋藩の行為については不問とした。
 前橋藩では、小河原と白井は藩と藩兵を救うために犠牲になった者として後々まで敬まわれた。また富津では陣屋城下を無用な戦火から救った両名の英断を称え、今日でも毎年塔婆をたてて供養が行われている。