葉室麟著 『 天翔ける 』 を読む

 葉室麟さんは、昨年12月に亡くなった。享年66歳。
 50歳から創作活動を始めて、『銀漢の賦』で松本清張賞、『蜩ノ記』で直木賞を受賞しているが、何とも短い作家人生である。
 これからも秀作を発表するだろうと期待していた人は多い。惜しい作家である。
 今回読んだのは、幕末から明治にかけての激動の時代をリードした一人である第16代越前福井藩主・松平春嶽(慶永)の物語である。
         
 松平春嶽は、徳川御三卿田安徳川家第3代当主・徳川斉匡(なりまさ)の八男として生まれ、第15代越前福井藩主・松平斉善(なりさわ)の養子になり、第16代越前福井藩主となる。
 激動の幕末時代の四賢侯の一人に数えられた。
 ちなみに、他の三侯とは、伊達宗城宇和島藩第8代藩主)、山内容堂土佐藩第15代藩主)、そして島津斉彬薩摩藩第11代藩主)である。

 春嶽は、多くの士と交わり、海外からの圧力に対し国の進むべき道がどうあるべきか考える。
 その春嶽を側近として支えたのが藩士橋本左内井伊直弼の「安政の大獄」で斬首)や、熊本藩から招いた儒学者横井小楠である。
 開国か、攘夷か、春嶽は西郷隆盛勝海舟坂本龍馬などとも交流し意見を交わし、「公」に基づいた国づくりを模索する。
 春嶽は、将軍継嗣問題では、一橋慶喜を推し、朝廷と幕府とが一致して外敵の難に対処すべく公武合体を主張するが、後に、慶喜との間にも考え方にずれを生じる。
 春嶽は、あくまでも「私」を捨て、「公」の政を行わんとの信念を曲げなかった。
 御三卿出身の徳川一門でありながら、国のためなら徳川家がその権力を手放す事も構わないと、新たな国づくりに邁進する。

 激動の時は進み、大政奉還がなされ、いよいよ明治の代に移るのだが、春嶽は徳川家を一大名として幕府の権威を縮小し、朝廷および雄藩連合による合議をもって国の運営を主張し試みる。
 このような時代の流れを見たとき、松平春嶽なくして明治維新はなし得なかったことに気付く。
 しかし、春嶽の描く、近代国家構想は実現できなかった。
 さらに、春嶽は、維新後の新政府の内国事務総督、民部官知事、民部卿、大蔵卿などを歴任するのだが、明治3年に政務を退く。
 明治23年死去、享年63歳。
 辞世の和歌は
 「なき数に よしやいるとも 天翔(あまかけ)り 御代(みよ)を守らむ 皇國(すめぐに)のため」
 著者は、本書の題名をこの歌から選んだのだろう。

 幕末から明治にかけて、このような高潔な志と卓越した構想力を持ち、徳川幕府、その後の新政権の中枢にいて生きた松平春嶽という人物を、見事に描いた作品である。
 幕末史に興味のある方に、一読をお奨めする。