文庫・吉村昭著『 夜明けの雷鳴 医師 高松凌雲 』を読む

 先日読んだ帚木蓬生著『 天に星 地に花 』の「後記」に、主人公(高松凌水)の子孫が、幕末から明治、大正にわたって活躍した高松凌雲だと書かれていた。
              
 高松凌雲とは、幕末、蝦夷地に幕臣の国を作ろうとした榎本武揚らに合流し、箱館戦争に医師として参加し、箱館病院の院長として、敵味方の差別なく治療に当たった医師である。
 昨年末に読んだ門井慶喜『 かまさん 榎本武揚と函館共和国 』にも、五稜郭に立てこもって徹底抗戦する榎本に、薩摩藩軍監の斡旋依頼を受けて「 降伏勧告書 」を高松凌雲が送っていることが書かれている。
              

 そんなことで、高松凌雲という医師の存在をもっと知りたくなって、吉村昭のこの作品『 夜明けの雷鳴 医師 高松凌雲 』を読んでみようと思った。
       
 なかなか読み応えのある物語だった。
 物語と言っても、本書巻末の「解説」で、ノンフィクションライターの最相葉月さんが、吉村昭という作家は「小説であっても『歴史』と銘打つ限りは史実を歪めてはいけない。」と、丹念な取材を重ねて「吉村のあまりにも禁欲的な創作姿勢には圧倒される」と書いているし、吉村自身が「あとがき」で書いているように、その取材経過をみてもかなり史実に基づいて描かれたものだというのが分かる。

 では、高松凌雲とは、どんな医者だったのか。
 著者の吉村は「あとがき」で、「凌雲にとって最も重要な意味をもつのは、徳川慶喜の名代としてパリの万国博覧会に出席する徳川昭武随行してヨーロッパにおもむき、パリの医学校兼病院である『神の館』で医学を修める機会を得たことで、それなくしては凌雲は単なる一医者として終わったことはまちがいない。渡欧がかれの生き方を左右したのである。」と書いている。
 その高松凌雲が、渡欧の機会を与えてくれた徳川慶喜に義を感じ、幕府が瓦解した日本に帰国後もなお、幕府従軍の医師として函館の地で、『神の館』で培った神聖なる医学の精神を実践すべく、敵味方関係なく治療にあたるところにスポットが当て描いている。
 そんな意味からも、日本における赤十字運動の先駆者として、さらに「博愛と義を重んじる男」としての生涯を貫き通した高松凌雲を、十分に理解できる歴史長篇である。
 もう一つ言わせてもらえば、箱館戦争を、幕臣でありながら五稜郭の榎本側の視点でなく、五稜郭の外の函館市街から冷静な判断を持って、臨機応変に事に当たり、多くの傷病人を救う高松凌雲の姿にも、読み応えを感じる作品である。