夏川草介著『本を守ろうとする猫の話』は読者に問う物語

 文庫本の表紙帯に「お前は、ただの物知りになりたいのか?」「21世紀版銀河鉄道の夜とあった。
 「これって、どう言うこと?」「銀河鉄道??」
 先日、『始まりの木』を読んで、医師であり作家の夏川草介に興味を持ってメルカリを検索していたらヒットしたのが、この『本を守ろうとする猫の話』だ。

    

 いやぁ~参った。
 この本、「読書は何のためにしているのか? 君の読書は?」と、僕自身の「本との向き合い方」が改めて問われ、「僕は、どうして本を読んでいるのだろう?」と、本を読む楽しさについて考えさせられる物語だった。
 たくさんの本を、読む事自体が目的化してしまう。本を読む事に効率化を求めすぎてしまう。少なからず自分も似たような事をしているのではないかな?と考えさせられた。

 本書は、4つの「迷宮」物語から構成されていて、主人公の高校生・林太郎が対峙する人物として、

 まず第一の迷宮「閉じ込める者」では、読んだ本を書棚に保管し「読んだ本の数」だけを競う自称・知識人が登場。
 続く第二の迷宮「切りきざむ者」では、読書の目的は〝あらすじ〟を読み取れば十分と、例えば『走れメロス』では〝メロスは激怒した〟というのが終局の〝あらすじ〟と豪語する男が登場。
 次に第三の迷宮「売りさばく者」では、本の出版に、本の価値ではなく目先の利益だけを追求する出版社社長が登場する。

 そして最後の迷宮で、「本はたくさんの人の思いが描かれています。苦しんでいる人、悲しんでいる人、喜んでいる人、笑っている人・・・。そういう人たちの物語や言葉に触れ、一緒になって感じることで、僕たちは自分以外の人の心を知ることができるんです。身近な人だけじゃなくて、全然違う世界を生きている人の心さえ、本を通して僕らは感じることができるようになるんです。」と林太郎は語り、「本はもしかしたら〝人を思う心〟を教えてくれるんじゃないかって」と闇に向かって投げかける。

 さらに終章「事の終わり」で、林太郎少年は同級の女子高校生に、読みやすい本には君が知っていることしか書かれていない。「〝読みやすい〟本ばかり読んでいると、新たな知識や考え方は得られないのではないか」「難しい本に出会ったらチャンス」と語る場面もある。

 最後に著者は「解説にかえて」で、この本を書いた心情を述べ、時代を超えた名作と言われる本の存在意義、「道しるべ」として存在し続けなけれならないのではないかと、本好きな読者に問うているのだ。
 「いやぁ~参った。僕は、どうして読書を楽しんでいるのか?・?・?」と、林太郎の指摘に立ち止まって考えさせられた。少し耳の痛い感じも覚える刺激的な物語だった。

◇蛇足になるが、僕は時々、NHKプラスで、見逃し番組を観る。
 番組を再生するときに、再生速度を変更できる。 
 0.75x 1.0x(標準)1.25x 1.5x 2.0x と選ぶことができる。
 先日、ある若者と話していたら「時間がもったいないので1.25xか1.5xで観ることが多い」という。「タイムパフォーマンス(タイパ)を考えたら、当然ですよ」と。
 僕もたまに1.25xで観ることがあるのだけれど、今回、この本を読んでちょっと反省。
 番組の内容だけを知っただけでいいのか、特にドラマだったら、制作者が意図したものを見逃していないか、大切な間合いを変えてしまって失礼な見方をしているのではないか。そんなことを考えてしまった。