◇宮本輝著『灯台からの響き』を読む

 宮本輝さんは同年代の作家であり、芥川賞をはじめ太宰治賞、吉川英治文学賞司馬遼太郎賞など数々の文学賞を受賞しているので、何となく追いかけているような感じで読んでいる。
 この物語灯台からの響き 』は2020年に単行本として刊行されて、先日6月末に文庫化された長編小説だ。
 単行本では読んでいなかったので、新聞書籍広告で文庫化発売を知って読んでみた。

    

 主人公の康平は62歳。高校を中退して父が商店街で営む中華そば店で修行をして店を引き継ぐ。

 60歳の時に一緒に店を切り盛りしてきた妻がくも膜下出血で急死。それ以降、中華そば店を続ける気力も失せて店を閉め、毎日が読書と夕方から焼酎お湯割りを飲んで日々を過ごす引きこもり状態。
 そんな生活が2年が経ったある日、まだ読んでいなかった蔵書『神の歴史』を書棚から取って読もうとしたら、そのなかに昔30年前に妻宛に届いた古いハガキを見つける。
 海辺の地図らしい線画と数行の文章。差出人は大学生の小坂真砂雄。記憶が甦って当時30歳だった妻が「見知らぬ人からはがきが届いた」と言っていたことを思い出す。

 なぜ妻は、見知らぬ人と言いながら、年の差もかなりある大学生のこのハガキを大事にとっていたのか、そしてなぜ康平の蔵書に挟んでおいたのか。描かれている海辺の線は海岸線、そこに記されている点は灯台らしい。妻は自分に何を伝えたくて・・・と、妻の知られざる過去を探しに、全国の灯台巡りの旅に出る。

 中華そば屋だけが人生の全てだった康平。一人旅をすること、飛行機に乗ること、見知らぬ人に自分から声を掛けること、髪型を思い切って変えたこと、康平にとって全てが初めての経験をしながら、一歩踏み出す。
 成人した一女二男の子供達とも、それをキッカケで本心から話ができた実感。そして辿り着く、妻が話してくれなかった過去にあった出来事での人間性ある尊い妻の行為。
 そこに辿り着く過程そのものが、康平自身の本来の自分、人生の尊さを取り戻す行為であったことを最後に読者は気付く。

 そんな物語だった。

◇ちょっと蛇足になるが、
 主人公の康平は読書家である。2階の自室には膨大な書物がある。そうなるキッカケが面白い。
 同じ商店街に住む親友が勧めたときの言葉。(本書43~45P)
 「お前と話してるとおもしろくなくて、腹がたってくるんだ。 康平、お前の話がなぜおもしろくないか教えてやろうか。お前が知ってるのはラーメンのことだけなんだ。じゃあ、職人と呼ばれる職業の人間はみんなおもしろくないのか。そうじゃないよ。 牧野康平という人間がおもしろくないんだ。それはなぁ、お前に『雑学』ってものが身についてないからさ。大学ってところはなぁ、専門の学問を学ぶよりも、もっと重要なことが身につくところなんだ。ユーモア、議論用語、アルゴリズム・・・。 それらを簡単に言うと『雑学』だ。女の話から、なぜか進化論へと話は移って、ゲノムの話になり、昆虫の生態へと移り、いつのまにかカルタゴの滅亡とローマ帝国の政治っていう歴史学に変わってる。どれも愚にもつかない幼稚な話だよ。でも、それによって各人が読んだり聞いたりして得た『雑学』の程度の差が露呈するんだ。 康平、お前にはその雑学がまったくないんだ」
 主人公の康平は「俺は高校中退だからな」と言い訳するが「高校を中退したのはお前の勝手だろう。 家が貧乏で仕方なく働くしかなかったってわけじゃないだろう」と言い「とにかく本を読むんだ。、小説、評論、詩、名論文、歴史書、数学、科学、建築学、生物学、地政学に関する書物。なんでもいいんだ。雑学を詰め込むんだ。活字だらけの書物を読め。優れた書物を読みつづける以外に人間が成長する方法はないぞ」と、その親友は自分に言い聞かせているのではないだろうかと康平は思ってしまうのだが、それが康平の「読書意欲」に結びつくのだ。