9日・日曜日のおしゃべり

 今日は日曜日。曇り、時々小雨がちらついたりハッキリしないお天気。

 

◇予定外だったが「焼き鳥」を焼く
 昨日、ファーム町田店の味わい広場で「焼き鳥」を暫くぶりでやったら好評で、常連のお客さんに、「ねえ~、相談だけど、明日お客さんが来るのよ。何とか15本焼いてくれない? この焼き鳥を食べさせたいのよ。お願い・・・」と言われて、断れないで受けてしまった。
 毎週日曜日には7時からのファーム町田店の開店準備の後、9時から10時までタケイさんがやっている精肉職場にパッキング作業に入っているので、それが終わった10時から午前中「焼き鳥ハウス」を開けて焼き鳥を焼く。

    

 今日のお客さんは、何となく若い人が多い感じ、2本、3本と買ってくれた。
 時々、湘南から野菜や肉を大量買いに来てくれるハヤシ夫妻は「焼き鳥をしているってメルマガになかったのにやっているのね、良かった!」と言って、友だちに電話して大量に買ってくれた。
 
◇近くの「木曽観音堂」で「ほおずき市

    

 このポスターを見ていたので、楽しみにしていたほおずき市
 焼き鳥が終わった後、1時頃に行ってみたらほぼ終わって、主催者の人たちがのんびりお茶を飲んでいた。
 「9時からやっていたんだよ。来るの遅いよ。」と言われながら、3鉢だけ残っていた「ほおずきの鉢」から、法被姿のおじさんが「残りもんには福ありだよ」と薦める1鉢を買って帰って来た。

    

 

◇再読している國分功一郎さんの『目的への抵抗』
 いま、宮本輝さんの『灯台からの響き』を読んでいるのだが、平行して哲学者・國分功一郎さんの『目的への抵抗』を少しずつ再読している。

    

 今日、再読してたページに、國分さんが高校生の「社会がおかしい方向に進んでしまうと思ったときに、どのような方法で訴えたら良いのか」という質問に対して、会話する行為の大切さを、こんなふうに述べている。
──よく思い出すマハトマ・ガンジーの言葉があります。「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」。自分が何かをしてもすぐに社会は変わりません。それでパッと変わってしまったら、そっちのほうが恐ろしい。だけど、意見を表明したり、考えたり、話したりする限り、「もうこれで仕方がないんだ」と思い込むような人間になるのを避けることはできるのではないですか。ガンジーの言葉は僕もいつも心に留めているものです。あと、人が発した言葉がいつどのような効果を発するのかは予測できないということも付け加えておきたいと思います。──
 今日は、この言葉に出会って、再読が足止め。咀嚼中だ。

 

◇「折々のことば」から
 毎朝、朝日新聞に連載されている哲学者・鷲田清一さんの『折々のことば』を楽しみに読んでいる。
 一週間たっても、心に残っている「ことば」がこれだ。
 6月30日

    

 「人は自らの日常にしがみついていると、その外にあるものがみな不気味に見える。」確かに・・・。

 そして、7月1日

    

 安部公房という作家が、こんなことを書いている『砂漠の思想』を読んでみたくなった。