25日と26日の朝日新聞「折々のことば」

 朝日新聞朝刊の「折々のことば」を、僕は毎日、楽しみにして読んでいる。
 このコラムは、哲学者の鷲田清一さんが、古今東西さまざまな金言からツイッターのつぶやきまで取り上げて紹介している。
 僕は時々、「う~ん!」と唸ってしまうような「言葉」に出会って、それが楽しみで読んでいる。
 2月25日と26日の「折々のことば」にも、僕は「う~ん!」と唸ってしまった。

 

 25日の朝刊の「折々のことば」は、こんな内容だ。

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  『 用もないのに行く、顔を出しておきたくなる場所がコミュニティだと僕は思うんです。(津田大介) 』
 ◇鷲田さんの解説     ◇
 ─ コミュニティが持続する条件は、人々が目的や価値観を共有することではない。「なんとなくみんな顔見知り」でかつ思いがけず面白いことが起こること。それには、外の人間を迎えること、各々(おのおのログイン前の続き)が自分のこだわりを他の人に「翻訳」することを楽しいと思える素地が不可欠だとジャーナリストは言う。美術家・小山田(こやまだ)徹との対談「集まりは可能か?」(「ASSEMBLY」02号)から。─

 

 そして翌日の26日の「折々のことば」

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  『 僕は、ちょっと足りなくて「あとは自分たちでなんとかするわ」くらいが状態としていちばん好き。(小山田〈こやまだ〉徹) 』
 ◇鷲田さんの解説
 ─ 規定の枠内でやらされるのは窮屈だし、ゼロから自分でやるのもしんどい。「組織」として閉じるのを回避するには、あらかじめそこに「ずらし」と「曖昧(あいまい)」を仕込んログイン前の続きでおく必要があると美術家は言う。地域も大学も自分だけで完結しようとすれば逆に潰れる。昨日と同じ津田大介との対談「集まりは可能か?」(「ASSEMBLY」02号)から。─

 

 この「言葉」が載っている「ASSEMBLY」というのは、「どんな媒体なんだろう?」と思ってネット検索してみたら、ロームシアター京都が発行している「京都に劇場文化をつくる」とサブタイトルが付いている機関誌だった。
 その02号の特集での対談が、津田大介さん(ジャーナリスト)と小山田徹さん(美術家・京都市立芸術大学教授).の『 集まりは可能か? 往来する自由がもたらすもの 』だった。
 この対談の内容もネットにアップされていた。
 https://rohmtheatrekyoto.jp/wp-content/uploads/ASSENBLY_vol2_web2.pdf