10月最後の土曜日のおしゃべり

 今日も、清々しい秋晴れの一日。
 土曜日なので、一日中、ファーム町田店のスタッフに入る。

     

◇先週土曜日に引き続き今日も「五平餅」を焼く
 埼玉県のヤマギシの村・岡部実顕地のミチヨちゃんが、今週もファーム町田店の「味わい広場」に駆けつけて来てくれた。
 ミチヨちゃんは、豚肉を使った牛丼風の豚丼をキッチンブースで作って販売。
 僕は、岡部で作って持ってきてくれた「五平餅」を、ミチヨちゃん特製のクルミ味噌を付けながら炭火で焼いて販売。

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 「美味しそう」と香ばしい匂いにお客さんが立ち止まる。

 今日も好評で、用意していた50本、昼過ぎ1時ごろには完売だった。

 

◇折々のことば
 哲学者の鷲田清一さんが執筆する朝日新聞の連載コラム「折々のことば」で、今朝の朝刊で紹介していたのは、出生時脳性マヒにより身体と言語に障害をもちながらも、身障者同人誌「しののめ」を創刊し、俳人・文筆家として活躍した花田春兆さんの言葉だ。

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 花田春兆さんの「人は自分の想像力の範囲内に収まるものしか評価しない。」という言葉に対して、鷲田清一さんは「誰かに評価されるというのは、裏を返せばその人の想像力の範囲内に体よく収められること。」と解説する。


 この感覚は、僕も日頃、心していることである。
 例えば、会の機関紙を編集しているときに、いろいろな方々の投稿原稿を読みながら、それを意識している。
 「分からない、何を言おうとしているのか?」と、これはちょっと・・・と思ってしまうことがある。そんな時こそまさに「僕の想像力の範囲内で理解しようとしているのではないか」と、体よく分かろうとしている自分を戒めながら、その人の真意に近づくまで読み返して編集するようにしている。
 どこまでの「未熟な自分だから理解できないのかもしれない」と心する。
 それは、小説など書籍を読んでいても同じだ。
 時々、読みだしたのだが「どうも自分の意にそぐわない、このまま読み進めても意味がない」という気持ちが湧く本がある。
 そんな時も「理解できないのは、きっと僕の未熟さ」なのだろうな。著者が伝えたい何かがあるはずだと、読み続けてみようと努める。そして最後まで読み終わって、何となく理解できたというか、著者の世界に近づいた感覚を得られたことも多々ある。
 だから、僕は、他の人の文章を批判する前に「僕の未熟さが理解できないのかも知れない」と襟を正すのである。
 会の機関紙を編集している編集者として、これからも僕は、この感覚だけは忘れたくないと思っている。