朝井まかて著『 ボタニカ 』と「牧野記念庭園」

 新聞書籍広告で朝井まかてさんの新刊の「日本植物学の父」とも言われる牧野富太郎の生涯を描いた小説『 ボタニカ 』を知った。
 朝井まかてさんは好きな作家の一人である。
 歌人・中島歌子の生涯を描いた『恋歌』、江戸時代の井原西鶴を主人公とした『阿蘭陀西鶴(おらんださいかく)』葛飾北斎の娘・葛飾応為の生涯を描いた『眩(くらら)』など、彼女の時代小説は実に読み応えがあった。今度は植物学者の牧野富太郎だ。

 

朝井まかて著『 ボタニカ 』を読む
 牧野富太郎について、僕はあまり知らない。昔、小石川植物園に行ったときに、その名前と偉大な植物学者で、植物を緻密に描いた絵を見たことがある程度の知識だ。
 読み進めてビックリ。こんな生い立ちだったのか、こんな金銭感覚を逸脱した常識はずれた暮らしをしながらの研究生活だったのか、こんなに日本中の山野を駆け巡り膨大な数の植物を採集しての実績を残した植物学者だったのか、と「日本の植物学の父の生涯」に驚きの連続だった。

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 生まれは江戸時代末期、土佐国佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)の、酒造業を営む裕福な商家(雑貨業)。幼い頃に両親を亡くし、祖父の後妻である祖母に育てられた。
 寺子屋や郷校で優れた教育を受け、幼少時代から植物に興味を持ち、学制改革にともなって入学した小学校のレベルの低さに失望し「植学を志す」ために中退。
 血のつながらない祖母であったが、富太郎を立派に育て上げることに徹し、欲しい書物を惜しみなく買い与えてくれて植物研究に没頭。なんと、19歳で第2回内国勧業博覧会を見るための上京には奉公人2名を伴い、書籍や顕微鏡まで購入している。

 高知の実家に従妹の本妻がいながら全国各地の野山を飛び回り、さらに東京でスエという女性と生活(後に結婚)し、13人の子供をもうける子沢山(7人は幼く死亡)。
 研究のために高知の実家の私財を使い果たし、実家は破産。
 それでも研究に必要とあらば書籍を買い、採集の旅に出て家庭を顧みない。家賃を滞納して立ち退きせざるを得ないことも度々で30回もの引越しを繰り返すが、それでも研究のための出費は思うがまま。自分の俸給の千倍もの借金を抱えた壮絶な貧乏暮らしを続ける。
 この借金返済に同じ郷里の岩崎家(三菱創業家)が援助したり、資産家の池長孟が牧野の窮状を新聞で知ってそれまでの溜まった借金を全て返済し、その後の研究費と生活費まで援助。
 しかし、それら援助してくれた人や、牧野の実績を認めてくれた大学の教授たちとも、牧野は自分の信念を貫きトラブルを起こす。
 そんな救世主や学界との軋轢もなんのその、全国(台湾・中国も含む)を飛び回っての植物採集を主とした研究に無我夢中の94歳の生涯だったのだ。
 そんな牧野だったからかもしれないが、採集した植物標本は約50万点、命名は2500種以上(新種1000、新変種1500)と言われ、自らの新種発見も600種余りある。
 そんな牧野富太郎の生涯を、朝井まかてさんはこの小説『ボタニカ』で実に丹念に、自由奔放「なんとかなるだろう!」と行動する人間・牧野富太郎を描いているのだ。

 

◇「牧野記念庭園」に行く
 その『 ボタニカ 』を読み終わったときに、ちょうど都心に出かける用事があって、練馬区立の「牧野記念庭園」に寄ってみた。
 西武池袋線大泉学園駅から歩いて5分。入園料は無料。
 ここは晩年の牧野富太郎の住居である。

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 庭園内の木々には、すべて名札はついている。

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 牧野富太郎の胸像は、妻の名前を名付けた仙台で発見した笹に囲まれている。

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 牧野富太郎「花在れバこそ 吾れも在り」という石碑。

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 展示室では、植物採集に愛用した道具や書物や緻密に描かれた植物画などが展示。

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 これが、野外で採取したものを入れるために持ち歩いた「胴乱」と、第二回内国勧業博覧会明治14年)に上京したときに購入した顕微鏡。

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 晩年の牧野富太郎が94歳で天寿を全うするまで、研究、執筆に籠もった書斎と書庫が当時のまま保存されている。

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 膨大な書籍の中での研究姿の写真も展示してある。

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 小説『ボタニカ』の中で描かれていた牧野富太郎を思い出しながら、これらの展示を興味深く見た。

 

 ちなみに、NHKの来年の朝ドラは、この牧野富太郎がモデルだという。TVドラマでどの様に描かれるのだろうか。