先週の三重県への出張前に書店に寄ったら、稲葉稔さんの 『 喜連川の風 』 シリーズの5冊目が出ていた。
この時代小説は、「日本一小さいけれど格式は高い」と言われる喜連川藩を舞台にした物語だ。
その喜連川藩は、栃木県のヤマギシの村・那須実顕地があるところなので、僕も時々、訪れることもあって、この 『 喜連川の風 』 シリーズが出るたびに読んでいる。
今回の5作目は、主人公で藩の中間管理職的役職の天野一角が、江戸藩邸が火事で被災し、その処理に、息子同行で江戸に出かけて起こる事件を解決する内容だ。
今回も、電車の中で、疲れた頭を癒やしながら、気楽に読める時代小説だった。
では、なぜ「日本一小さいけれど格式は高い」と喜連川藩が言われたかについて、前にも書いたが触れておこう。
要約して説明すると、喜連川藩は次の様な特殊な位置づけの藩なのだ。
実質石高はわずか4千5百石しかない。城もなく藩庁は陣屋。家臣は200人に及ばない。日本で一番弱小藩だ。
しかし、格式は高く、大名とは1万石からと言われる中で、表石高10万石として江戸城では大大名たちと肩を並べる別格扱い。
さらに、参勤交代は免除、人質的要素の妻子を江戸に住むことも免除、全国諸侯に幕府から課せられる数々の普請(土木事業)の賦役も対象外。
徳川将軍家でさえ「御所」号を名乗れるのは将軍が隠居したのちに「大御所」と呼ばれるときだけなのに、喜連川藩主は、領民、家臣、他国の人々からも「御所様」と言われることを許されてた。
なぜか。
喜連川家は、清和源氏の流れを汲む足利将軍家を祖としているからだ。
征夷大将軍を名乗る徳川家(家康)としては、その源氏の統領として足利家を重んじ優遇して、権威づけるために足利家の血をひく喜連川家を、客分扱いとして尊崇しなければならなかったのだ。
この小説を読むたびに、こんな特殊な藩があったのだと、つくづく不思議に思う。