我が家の近くにある「小島資料館」

 我が家から車で10分ほどのところに、かつて鎌倉街道の宿場だった小野路という所がある。
 江戸時代に入って大山詣の人々で賑わい、幕末には新選組近藤勇土方歳三が、京都へ行く前に、ここの宿場の名主・小島鹿之助のもとに訪れ、剣術の出稽古を度々したと言われている。
 その小島家が、現在は私設「小島資料館」となって、沖田総司が京都から小島鹿之助に宛てた年賀状や、ドクロの刺繍がしてある近藤勇の稽古着、また、近藤勇の晒し首を報じる瓦版など、新撰組に関する資料が展示してある。


 この資料館は、小島家の人々の住居でもあるので、開館は月2回の毎月第1・3日曜日午後1時~5時であるので、なかなかタイミングが合わずに見学できなかった。
 先日、ファーム町田店のスタッフに入っていて思い出したのがちょうど第3日曜日だったので、昼過ぎの休憩時間に行ってみた。

    f:id:naozi:20190702160052j:plain

 この玄関の右側と前庭にある立派な石灯籠は、当主兼館長の小島政孝氏の説明によれば、上野の寛永寺(かんえいじ)から移設したものらしい。
 上野の寛永寺と言ったら、幕末の慶応4年(1868年)に彰義隊が立てこもり戦場となった場所である。石灯籠にはその時の銃弾が当たった傷跡が確認できた。

    f:id:naozi:20190702160132j:plain

    f:id:naozi:20190702160154j:plain

 

 玄関を入り靴を脱いで、いかにも個人宅の資料館といった畳部屋に入ると、先ず目にするのが近藤勇を描いた絵だ。

    f:id:naozi:20190702160224j:plain

 そして、近藤勇の剣術流派の天然理心流の奉納額が飾られていた。

    f:id:naozi:20190702160252j:plain

    f:id:naozi:20190702160313j:plain

    f:id:naozi:20190702160401j:plain

 

 これ以外の展示物は、撮影禁止だったのでアップできないが、未整理の当時の資料も含めて棚に山積みされていた。

 

 小島鹿之助は、天然理心流3代近藤周助の門人となり、4代目であり新選組局長の近藤勇は4歳年下だったらしい。鹿之助は近藤勇に漢学を教授していたという。

    f:id:naozi:20190702160448j:plain


 蛇足になるが、上に記した石灯籠のあった東叡山寛永寺
 開基(創立者)は徳川家光で、開山(初代住職)は天海である。徳川将軍家菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。幕末の彰義隊が戦った上野戦争によって、根本中堂をはじめ、主要な建物が焼失し、現在は、本坊跡には東京国立博物館、子院の凌雲院跡地には国立西洋美術館が建っている。
 今度、現在開催中の国立西洋美術館の「松方コレクション展」を鑑賞に出掛けたとき、そんな歴史の変遷も味わってみたいと思う。