1月13日・今日の散策おしゃべり

 今日は木曜日でファーム町田店はお休み。いつもやっている朝の開店準備はない。
 空気は冷たく寒いが、天気はすこぶるいい。快晴だ。
 今週は、会の機関紙「けんさん」の編集でパソコンとにらめっこしている時間が多く、あまり歩いていない。
 いま「けんさん」の方は、九州のヒデコさんに紙面レイアウトを考えてもらっていて、それを待っている。
 午前中のうちに、ちょっと老化防止と健康のために、初詣に行きたいと思っていた我が家から歩いて30分ほどのところにある「野津田神社」に向かって歩く。

 

 目指す「野津田神社」には、まだ行ったことがない。
 この地は明治初期の自由民権運動が盛んだったところ。
 実は、近くにある「町田市立自由民権資料館」には、その自由民権運動の指導者・石坂昌孝が、5升の酒を呑んで書き上げたとの言い伝えられる豪快な文字の幟が展示してあって、その幟は野津田神社に掲げられたものだというのが書かれていた。

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 そんなこともあって、石坂昌孝ゆかりの神社に一度は詣でてみようと思っていた。


 今年の元旦、妻と初詣に行こうとなって、僕はこの「野津田神社」を提案したのだが、「それは遠い、そこは一人で行ってよ」と却下され、いつもの「箭幹八幡宮(やがらはちまんぐう)」に行ったのだが、1月中には詣でたいと思っていたのだ。
 スマホの地図案内アプリを頼りに最短コースを歩いて30分ちょっとで到着。

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 入り口の狛犬の表情が、実に可愛い。

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 鳥居が2つあって、これが奥の2つ目の鳥居。

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 この神社の説明板。

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 何と御祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)・国常主尊(くにとこたちのみこと)・天照大神(あまてらすおおみかみ)・天津児屋根命(あまのこやねのみこと)・日本武尊 (やまとたけるのみこと)と記されている。
 野津田には5つの神社があって、五社明神として祀られていたが、ここにあった御霊神社に四社が合祀され「野津田神社」となり、この地の総鎮守となったとのこと。

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 本殿前にある亀の上に乗った灯籠は石阪昌孝が奉納したものだが、今日は「謹賀新年」の立て看板で隠れていた。

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 境内左側から東京都指定「町田民権の森緑地保全地域への入口がある。神社の裏山が、「自由民権の森公園」なのだ。

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 森に入ると、こんな祠もある。

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 そして、石坂昌孝のお墓がある。

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 ここで自由民権運動の指導者・石坂昌孝」について、自由民権資料館に展示してあった文章を抜粋要約し記載。
『この地・野津田村に生まれた昌孝は、17歳で家督・名主職を継ぎ、幕末に地域指導者として奔走。文明開化期にも地域行政の要職を歴任し、儒教的価値観と西洋的価値観を織り交ぜながら、教育や地方行政の刷新による遺風の打破、地域秩序の再編を目指して試行錯誤。明治10年代に入ると、初代の神奈川県会議長に選出されたのち、神奈川県有志の団結をめざして武相懇親会を催し、政治結社融貫社を結成。自由党入党後は党中央の常議員を務めるなど、神奈川県の自由民権運動の指導者となる。
 また、第一回総選挙で当選。以来4期連続衆議院議員を務め、関東の自由党内で存在感を発揮し、代議士引退後は群馬県知事を務める。
 長きにわたる政治運動で散財し屋敷も手放す「井戸塀政治家」の典型のような生き方で、長女・美那子と詩人であり平和主義運動家・北村透谷が出会ったという隣接の石坂昌孝の屋敷跡は、現在、町田薬師池公園四季彩の杜「 ぼたん園」となっている。』

 ここが、手放した家屋敷跡の「ぼたん園」入り口。石坂政孝が運動のために私財を投じ、残ったのは塀と井戸だけと言われている。

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 この「ぼたん園」内には、「自由民権の碑」がある。

   (これは、夏に訪れた時に撮影)

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 また、薬師池公園には「自由民権の像」「自由民権の鐘」がある。

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 先日、自由民権資料館で特別展「石坂昌孝」には、分かり易い「自由民権運動」の説明パネルもあった。

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 今日の散策は、自由民権運動家・石坂昌孝についてのおしゃべり」となってしまったが、我が町田の誇るべき人物なのである。