岡村道雄著『縄文人からの伝言』(集英社新書)

 この新書を読み始めた時にもブログで紹介したが、読み終った今日は、週末だし、時間もあるので、僕自身の読後整理の意味も含めて、あらためて記してみたい。
 本書『縄文人からの伝言』は、僕が今までイメージしていた古代人・縄文人の世界を、見事に覆してくれたことは確かである。
 そういう意味において、僕にとっては一読に値する新書だった。
           

◇著者は「おわりに」で、
 縄文人の世界が、ここまで解明された根拠を次のように書いている。
 ─ 昭和50年頃から、大規模な開発の際、遺跡が開発工事によって壊される前に発掘による記録をとって調査成果を後世に残す「記録保存」のための調査を、行政が盛んに行うようになりました。その膨大な数と広い面積を掘る発掘調査によって、多くの発掘成果があがり、縄文文化の実態の解明がにわかに進みました。─
 確かに、宅地造成の工事が「遺跡が出た」と、途中でストップしていることがある。
 僕が時々、散歩に行く我が家・多摩実顕地近くの尾根緑道という遊歩道脇の宅地造成地でも、先日「遺跡らしいのが出ちゃったらしいよ」と、工事がストップしている事情を近所の人が教えてくれたことがあった。

◇それによって、
 ─ 私たちの祖先「縄文人」が、日本列島の各地で、その地域の自然、風土などに適した文化を築き、豊かで安定した平和な生活を持続していたこと、そして1万年間という悠久の時間を積み重ね、日本文化の確かな基礎を築いたことが、次第に明らかになってきました。縄文人は、自然の一員として環境を熟知するとともに、自然を育て、負荷がかからないように自然を利用し、ともに生きる技を磨いて生きていたことが明らかになってきたんです。─
 このように述べ、縄文人が自然と調和的に生きていた生活文化の具体像を、実証的に説明しているのだ。
 自然破壊とか、乱開発とか言われている反面、それによって古代の世界が解明されているという皮肉に、ちょっと驚く。

◇その一例として、
 本書を読み始めた時のブログには、
 ─ 縄文人たちが定住生活していた集落は「集落全体を囲い・区画する施設をもたなかったのが、世界的に見ても縄文集落の特徴です。自然と調和的に暮らし、他集落とも連携して平和に暮らしていた日本的定住生活だったと言えます。─
 と、縄文人の社会意識について書いたが、
 さらに、縄文人たちの生活では、栗林やウルシ林を里山風に育てて、それぞれの特徴を熟知して生活の中に取り入れていたとある。
 栗の実は食料であり、木材は丈夫な建材である。
 何とウルシは、水に強い性質を利用し水場施設の木材としても使われ、さらに樹液を採取して、その漆液を土器や木製の鉢などにも塗った漆製品が存在していたらしい。
 また、油田地帯からしみ出していたアスファルトの粘着性と耐水性を利用し、接着剤や充填剤などに利用していたことが分かったのだと書かれている。
 それ以外にも、現在まで受け継がれてきたものが、すでに縄文時代にはあったことがいろいろと述べられている。

◇もう1つ、僕が驚いたことを記しておくとしたら、
 縄文人には、今で言う「福祉」というものが日常的な営みにあったと言うことだ。
 ─ 縄文時代後期の北海道南部・洞爺湖町の入江貝塚では、幼少時にポリオ(小児麻痺)にかかり、手足が幼児と同程度の太さしかなく、立って生活できなかった女性が、家族・集落に助けられて20歳前後まで暮らし、丁寧に墓に埋葬されて見つかっています。また、栃木県の大谷寺洞穴遺跡や、岩手県中沢貝塚でもポリオにかかった遺骨の類似例が報告されています。つまり、縄文時代にもすでに立派な福祉が行われていたのです。─
 このようなことも、遺跡調査で解明されているらしい。

◇その他にも、
 今までこの種の研究書にはあまり述べられていなかった女性の役割や生活様式、祈りと土偶のこと、埋葬のこと、感謝を込めた送りの儀式やシャーマンの存在など、興味ある記述が多々あり、知的刺激の多い内容である。
 面白いのは、
 ─ 縄文人の骨や歯に栄養不足による成長障害が認められることもほとんどなく、むしろクリの実のような甘味のあるデンプン質をおおくとったためと考えられる虫歯も、食料採集民としては突出して高い比率で認められます。─
 とあるのだ。

◇最後に筆者は、
 ─ 今日では環境悪化、共同体の崩壊、食の安全やゴミ・交通・エネルギー問題といった多くの社会問題が顕著になり、精神文化の荒廃も指摘されています。(中略)縄文人をはじめ私たちの祖先が今日の様子を見たら、きっと驚き、笑い、あきれ、そして哀れにさえ思うかもしれません。─
 と述べ、縄文時代の世界を知り、それを「縄文人の伝言」として受け止め、人々にとっての幸福、本当の豊かさや発展とは何なのか、人間としての根源的な生き方の原点に立ち返って、価値観、哲学を再考し、生き方、生活文化を見直さなければならないと警告しているのだ。