現在、東京・両国の「大江戸博物館」で『縄文2021-東京に生きた縄文人-』を開催中だ。
会期が12月5日までというので、都心に出掛けたついでに寄ってみた。
縄文時代には興味がある。
我が町田市にも遺跡が数ヶ所ある。誰かが「東京多摩地区は高度成長時代にニュータウンと言われて売り出されたが、遠い昔の縄文時代から人々が集まり住んでいた憧れのニュータウンだった」と言っていた。
文藝春秋9月号にも、『世界遺産 三内丸山遺跡と縄文人の世界』と題し、縄文時代について「戦を好まず、自然と共存する。魅力的な縄文人に学べ」と、千葉大学名誉教授の三浦佑之氏と、青森県世界文化遺産登録専門監の岡田康博氏の対談が掲載されていて、その内容に僕はさらに新鮮な刺激を受けた。
三内丸山遺跡の発見は、未開、未発達という縄文時代のイメージを、大きくくつがえしたらしい。
前にもブログに記したが岡田氏は言う。「私は縄文人には、そもそも相手を滅ぼす発想がなかったと考えています。三内丸山遺跡には堀や土塁がなく、敵に備えた形跡がない。また出土する人骨にはほとんど傷の跡がありません。つまり、縄文時代は平和で協調的な社会であって、暴力で命を落とした人も極端に少なかった。さらには、寝たきりの状態で二十歳まで成長した女性の人骨も発掘されて、縄文人が助け合って暮らしていたことを示しています」「現代では、SDGsなど、持続可能な社会を実現するための生き方が見直されていますが、実は遥か以前に縄文人は私たちが理想としていいような、共存共栄を尊重する生き方をしていた。遺跡を見るたびに、そのことを思い知らされるんです」と。
その他にも、縄文人の巨木信仰が、出雲大社の60年おきに建て替えられる式年遷宮や、諏訪大社の御柱に繋がっているのではないか、等など、実に興味ある面白い内容だった。
1万年以上にわたって続いた縄文時代。東京という地域の縄文時代を考える大規模な展覧会は、どの様な展示なのだろうかと興味津々。
先ず、最初に展示してあったのが「多摩ニュータウンのビーナス」という土偶。
そして驚いたことに、東京には縄文時代の遺跡が3,800以上も確認されているという。
その遺跡から出土された様々な土器を見ていると、その形状、模様の巧みさ美しさに「縄文人って、どんな人々だったのだろうか?」とつくづく思うのだ。
この「注口土器」など、今でも僕たちが使っているものと同じ形ではないか。
伊豆諸島の島々にも縄文遺跡があることを僕は初めて知った。
この「忠生遺跡」は、僕が住んでいる所から目と鼻の先の場所の遺跡だ。
東京都内の各地の遺跡から出土した土器が、数多く展示してあった。
新宿区の遺跡から出土した「縄文人の頭骨(レプリカ)」と、それをもとにして作られた「縄文人復元像」も展示。
この副葬品として出土した土器など、朱彩の痕跡があると言うから驚く。今でも十分に喜ばれ使いたくなるデザインだ。
縄文人の美的感覚には、芸術家の岡本太郎氏も縄文の美を再発見し、日本美術史を書き換えたのだが、確かに縄文人の美的センスは凄い。
丸木船や手斧など木製の出土品も展示してあった。
これは、環状集落再現模型。
そして驚くのは、縄文人は布を編み衣服をまとい、装飾品を付けて生活していたというのだ。
その装飾品の一つ「耳飾り」がこれだ。
縄文時代後期・晩期の小さな土偶を、ひとつ一つ見ていると飽きることがない。
最後に展示してあったのは、国宝の土偶「縄文のビーナス」だった。
この展示物だけ撮影禁止だったので、帰りに売店で絵はがきを買った。
(絵はがきを接写)