新聞記事:「縄文=ユートピア」はホント?

 今朝の朝日新聞朝刊に、縄文時代についての興味ある記事が載っていた。
 近年、縄文時代の遺跡研究家たちが出している『 縄文ユートピア論 』説や、『「格差も戦争もない」「自由でエコロジカル」な縄文文化 』と話題になっていることに疑問を投げかけている記事だ。

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 記事を要約すると、
国立歴史民俗博物館の山田康弘教授は、最近語られる「エコロジカルな縄文人」とのイメージに「違和感を抱く」と語る。
 縄文時代の人口は、その時代の最多の時期でも日本列島全体で26万人程度と推測されるので「縄文の人々は火を放つなどして集落周辺の森林を切りひらいていたが、当時は自然破壊より自然の復元力がまさっていたので、回復していた。現代的な意味で、彼らが環境に優しい暮らしをしていたとは言えないと思います。」と述べている。
青森県西目屋村遺跡群などを調査している青森県立郷土館の岡本洋学芸主査は、「もし、自分が『縄文時代に暮らしてみませんか』と聞かれたら、間違いなく断ると思いますね。」と言っている。
 縄文文化が特に東日本で発達した理由は、サケをはじめとする食料資源が豊富だったからというのが従来の説だが、「近くに別の集落がある場所では、食料が奪い合いになっていた可能性がある。」と指摘し、発掘調査の結果、津軽平野などの集落の集中場所では、集落の存続期間が短いものがあり、食料が尽きると、新たな資源を求めて集落自体を移転させていたと考えられる。木の実を保存して通年の主食とした一方、大型獣からカエルまであらゆるものを食べて飢えをしのいだ。「決して豊かな時代ではないんです。」と語る。
◇「格差社会」については、「稲作が本格化して余剰生産物が増える弥生時代以降で、縄文には格差がなかったとする従来の見方」にも疑問を呈している。
 大型墓には複数の人物が葬られていたと考えられ、副葬品すらない墓もあり、明治大学の阿部芳郎教授は、「漆製品を多く持つ被葬者と持たない被葬者の間には明らかに格差があったと考えるべきだ。ただ墓自体はいずれも同じ場所に作られており、その地位は世襲ではなく、おそらく一代限りだったのではないか。」と語る。

 僕自身も、最近の縄文時代の見方について、僕らが学校で学んだ「文化の未熟な縄文時代」を覆す話題に、興味を持ち、ロマンさえ感じている一人だが、「本当はどうなのだろう?」と、この記事を読んだ。