東京都美術館の『 藤田嗣治展 』

 今日の東京は、朝から雨。気温も11月上旬並みの15℃。急に寒くなった。
 夜になって、やっと雨もやんだ。
 明日は、晴れの予報。午後から埼玉県のヤマギシの村・岡部実顕地に出張だ。


◇会の新聞「けんさん」10月号を思案中
 今週で9月も終わり。
 会の新聞「けんさん」10月号の紙面構成を考えているのだが、いい記事企画アイデアが描けず、苦戦中。
 10月号は、発行が遅れそう。


◇夕方、東京美術館に寄る
 いま、上野の東京都美術館、『 没後50年 藤田嗣治展 』が開催中だ。
 前々から、行こうと思っていながら、なかなか行けなかった。
 会期も10月8日終了と、気付いたら来週いっぱいだし、新聞の紙面アイデアもまとまらず・・・、そんなことで、気分転換に帰宅前に上野に寄った。
       
 雨天日の夕方だから、人も少ないだろうと思っていたら、なんのなんの、意外にも混んでいた。
       
       
 この展覧会、藤田の没後50年の節目ということで、彼の多くの作品のうち精選された126点が、描いた時代毎に「風景画」「肖像画」「裸婦」「宗教画」などに分類されて展示されていた。
 もちろん、藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」による裸婦画も10数点展示されていた。

 
◇画家・藤田嗣治の人生
 僕は、藤田嗣治の生きた人生に興味がある。
 小栗康平監督の映画『FOUJITA』(フジタ)も観たし、NHKのテレビディレクターだった近藤史人さんの『藤田嗣治「異邦人」の生涯』という文庫本も読んだ。
       
 その著書にも書かれているのだが、『明治以降の日本人画家で、海外で藤田に匹敵する高い評価を得ることができた画家は今もなお存在しない。だが、藤田ほど日本と海外での評価が異なっていた画家はいないのも事実である。』というように、彼の生き様については、様々な憶測が多い画家なのである。
 父が陸軍軍医総監という裕福な家庭に生まれ、画家を目指す。
 東京芸大では認められず、26歳でパリに渡る。
 試行錯誤の末に生み出した独自の画風、乳白色の下地に日本画用の絵筆で墨の線を引く繊細な独特の作風の裸婦や猫の絵が認められ、エコールドパリの寵児として、名声と人気を思うままにする。
 第二次世界大戦中は、日本へ戻って戦争画家としての活躍。
 戦後、その「戦争画」は日本では芸術作品として認められず、戦争協力者というレッテルと日本画壇からの誹謗。
 そんな日本に見切りを付けて、憧れのパリへ再び戻り、キリスト教の洗礼を受ける。
 フランス人に帰化した彼は、パリ郊外で晩年を過ごし81歳で亡くなる。
 画家・藤田嗣治は、そんな歴史の荒波の中で、日本とフランスの間を彷徨いながら、苦悩する人生を生きているのだ。