松岡圭祐著『ヒトラーの試写室』を読む

 松岡圭祐の小説を読むのは、『黄砂の籠城』(上)(下)、『八月十五日に吹く風』、『生きている理由』に続いて4作品目だ。
 どれも、史実をもとにして、著者の豊かなイマジネーションで描かれた歴史小説としてのフィクションなのだが、それぞれに感動した。
 今回、読んだのは、『ヒトラーの試写室』。
         
 表紙を開くと、冒頭に「この小説は史実から発想された」と書かれている。



 物語の前半は、戦時中に映画作りに携わる人たちが、特殊撮影に試行錯誤しながら取り組む姿を描いている。
 その特殊撮影を陣頭指揮するのが、戦後に円谷特技プロダクションを設立した円谷英二
 火山が噴火する映像を奇抜な発想で作ったり、真珠湾攻撃マレー沖海戦での戦闘機の活躍を実写さながら作り上げる。
 その映画人としての、特殊撮影の悪戦苦闘の姿に、僕は引き込まれ面白かった。


 後半は、ナチス・ドイツの宣伝相のゲッペルスが、映画を大衆心理を操る効果的なプロパガンダと位置づけ、映画作りをする過程が描かれている。
 彼は「どれだけ戦闘機を量産しようと、全地球は爆撃できない。だが映画は世界の隅々まで浸透し、人の心を操作できる。近代文明においては、宣伝省こそ軍隊をもうわまわる力を発揮する。」(本書137頁)と、断言する。
 ゲッペルスは、1912年に起こった豪華客船・タイタニック号の北大西洋での沈没という悲劇を映画化して、イギリス人の愚かさを観た人に印象付けようとする。
 その映画作り、特に、豪華客船の沈没シーンの特殊撮影にドイツに単身行くのが、円谷の下で技術を学んだ主人公の青年。
 異国の地で、異国の人たちの中で、一人の青年(主人公)が柔軟な発想で特殊撮影を作り上げる。その悪戦苦闘がリアルに描かれているのが読みどころだ。


 そして、戦争がいかに愚かで無謀な行為であり、ナチス・ドイツも、日本も、国民に真実を伝えることなく敗戦に向かっていく様をも描いている。
 最後は、数々の偶然がつながって、無事に日本に帰り、諦めていた家族との再会もするという終わり方で、読者はホッとするのだが、戦争という愚行が、いかに人々を苦しめ、苦難を強いるかが描かれている。
 史実と、それを繋ぎ合せるフィクションを、松岡圭祐の巧みな筆力が交差させた歴史小説となっている。