この書籍『一万年の旅路 ネイティヴ・アメリカンの口承史』が刊行されたのは25年前。
500ページを超える分厚い本だ。
読み出したのは1ヵ月前、途中で小栗康平監督の映画に出会ったこともあって、それ関連の本を読んだりして中断のときもあったが、先週、やっと読み終わった。
北アメリカの先住民であるネイティブ・アメリカンのイロコイ族の成り立ちの物語だ。
著者は、イロコイ族の系譜をひく女性。一万年間語り継がれた一族の大いなる旅路を、書籍にまとめたものなのだ。
イロコイ族は記述ではなく口承で、脈々とその歴史と、その時々に得た知恵を継承してきた。
物語ははるか一万年以上も前、アフリカ大陸からアジア大陸を旅し、その間に如何にして衣服を身につけ、数々の困難を乗り越えて、辿り着いたアジア大陸東沿岸。
その一族が長らく定住していたアジアの地で、噴火や地震、大津波に遭遇して、子々孫々の幸せのために、ベーリング陸橋を超え北米大陸にわたり、カボチャやトウモロコシなどを発見しながら、五大湖のほとりに永住の地を見つけるまでの出来事が緻密に描写されている。
凄い民族がいたと感動の連続で、知的興味の刺激連続の書籍である。
その一万年の旅の出来事一つ一つに対応する彼らの姿と知恵に感動するのだが、特に僕は、彼らが言う「節度ある話し合いの知恵」が、僕らが現在やっている「研鑽方式による知恵の積み重ね」と同じことではないか、それが重要なキーワードとなって継承され、その知恵と実践が、民主主義の一つの原点としてアメリカ建国、国際連盟や国際連合にも影響を与えたと言われている点に注目して付箋を付けながら読んだ。
それは彼らが、重要な事項を決定する際は、全員か納得するまて話し合う。そこで彼らが、何より優先して考えなけれはならないことは、現世代のことではなく、これから生まれ来る世代が、自分たちより悪い環境で暮らすことがないよう、心を配り決定を下す。
彼らは、子々孫々の世代のことを「子どもたちの子どもたちの子どもたちが…」と表現して、その世代が幸せに暮らせる永住の地を求めての壮大な旅の物語なのである。
いま、読みながら付箋をしたページを重点的に読み返しながら、その余韻に浸っている。
付箋をした箇所すべてを記すことは出来ないが、例えば、その何カ所かをここに記すとすれば、次のような示唆に富んだ内容である。
◇本書92ページ
ある者が言う。
「めまぐるしく変わる状況を一つの年のめぐり以上歩き通したら、同じやり方を続けることにこだわっていられなくなるさ。〈大いなる乾き〉を歩いたと思えば、すぐ水また水でびしょ濡れになったんでは、水を節約するのがいいのか、捨てるのがいいのか決めかねる。それよりむしろ」
男は続けた。
「変わろうとすることじたいを大切にするべきではあるまいか。変わろうとしない者たちこそ、われらのうしろでじっと大地に横たわるのではあるまいか」
これには多くの者たちが同感だと語った。そのあと、別な者がこう答えた。
「けれど、一族がけっして変わらなかった点もあります。ほかでもない」
その女は続けた。
「この〈大いなる島〉へ歩き、そこで安住の地を見つけるという、私たちの変わらぬ目的がそれだったのではありませんか。子どもたちの子どもたちの子どもたちが、私たちの日々の暮らしぶりを喜びとすることができるように―」
これにもまた、一族は共感で応えた。こうして彼らは、団結の源が目的意識の中にあると考えるようになった。そして道の本質が多様性をもたらすのだ、と。彼らはまた理解した。多くの道が同じ目的地につながり、それらの道どうしのあいだには、互いに学び合えることがたくさんあるのだ─、と。
そのいっぽうで、目的というものがなければ、彼らはたんなるさすらいの民になりかねなかった。さまよう〈大いなる群れ〉を追って生きる、いくつかの民のように─。一族には、自分たち自身の道を選ぶことのほうが好ましく思えた。
こうして、〈大地が雪に埋もれる〉この季節、たくさんの学びが積み重ねられた。焚火を囲んで座る時間が、新しい探索を心ゆくまで分かち合う機会になったからだ。
◇本書131ページ
そして、中央の輪は一族全体を養うものと考えられた。いっぽう、それを取り巻く四つの輪は個々の成長を助け、それが中央の輪にもどると、翻(ひるがえ)って一族全体を益するものと考えられた。
さらに、理解はつねに二つの輪を歩むことで育つとされた。一つめは、一族全体がたえず一定の方向に歩む輪。二つめは、〈中央の輪〉から遠心力で飛び出すかのように、一人ひとりが自分の必要に応じて歩む輪。したがってこれは回転の方向が反対で、一めぐりのあと各自をもう一度〈中央の輪〉に合流させた。
そして一族は長いあいだ、自分たちの理解の証として大地の上にこのような文様を描き続けた。
各自の必要、全体の必要が、それぞれにふさわしく一定の方向に歩まれ、一つひとつの輪が別の輪に流れ込む。全体と個が休みなく〈一族の輪〉を踊り、〈内なる成長の輪〉を踊れるように─。
だからこそ、あなたと私も今日、大地がふたたび成長の光に向かう〈季節のめぐり〉において、たえざる二重の輪を歩むのである。ならば、それを続けようではないか。子どもたちの子どもたちが、この知恵を学べるように─。
◇本書500ページ(節度ある話し合いが今でも続けられていると著者は記す)
合意(コンセンサス)形成のゆっくりとしたプロセスも同じ道筋をたどり、話し合いのあらゆる参加者から、すべての知恵と考え方と理解をたんねんに拾い集めていく。「たくさんの人びとが一緒に知恵を探る」というのが話し合いのあるべき姿だろう。
合意形成の仕上げは、だれもが実行できる決定(複数の場合もある)を見いだすこと、つまり一族全員を包み込む輪を見いだすことだ。一族の一人ひとりは、しばしばその輪の外へ踏み出すことがあるという了解があって、それが個人の自由意志を保証していたが、〈一族の輪〉とは、いかにしてともに暮らすかに関するおおまかな同意として全員を束ねるものだった。〝大地の輪〟は、自分を理解し、自分と共同体との関係を理解するために、これを目に見える形で実践する方法だが、いまなおにぎやかに行なわれて新しい学びをもたらしている。
◇本書501ページ(著者に父親から伝えられた一部)
これには思考の一致と行為の一致とが含まれる。「独りではできないことでも、大勢ならできるかもしれない。たとえその大勢が、一人ひとりは力足らずでも」、「独りでは不可能なことも、大勢なら可能になる」――このテーマがさまざまに形を変えてくり返されている。
父がとくに力を入れて私に理解させようとしたのは、〈海辺の渡り〉(ベーリング陸橋渡り)にさいして「一族全体をつなぐ」綱を縒(よ)るプロセスだった。その発想が、孤立した個人からはけっして出てこないものであることを、根気よく私に納得させようとしたのだ。
「こういう目的は、たくさんの手があってはじめてなしとげられるものなんだよ」
父はそう指摘した。そうして一族は、だれも想像できなかったほど長い綱を、想像よりずっと短い時間で縒ることができたのである。〈海辺の渡り〉ではそれを、一人ひとりの力が発揮され、同時に全体とつながってほかの全員を守るような形で使ったのだが、その学びの大きさについて父は次のように語った。
「その日以来、一族は生まれ変わった。目的意識が〈大いなる綱〉となってわれらを結びつけ、どんな状況の変化も乗り越えられるようになったのだ」
本書『一万年の旅路 ネイティヴ・アメリカンの口承史』には、このような示唆に富んだ記述が満載なのである。