ポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路』の再読をやっと終了

 10月末に、約1ヶ月かけて読み終わったネイティヴ・アメリカンの口承史」のポーラ・アンダーウッド著『一万年の旅路』。
 この本は、モンゴロイドの一族が、長年安住の地として住んでいたユーラシア大陸から、海に呑まれる寸前のベーリング陸橋を命がけで渡り北アメリカ大陸へ。そこからもカナダ北西部での冬越え、現代でも困難なロッキー山脈越え、米中西部の巨大な砂漠の横断など数々の困難を乗り越えて、ついに五大湖南岸の「新たな安住の地を獲得」した大いなる旅路の物語なのである。

     

 その一族というのが、ネイティヴ・アメリカンといわれる北アメリカの先住民・イロコイ族(現在もイロコイ連邦として存続)
 彼らが重要な事項を決定する際は、全員が納得するまて話し合う。そこで彼らが何より優先して考えなければならないことは、現世代のことではなく、これから生まれ来る世代が自分たちより悪い環境で暮らすことがないよう、心を配り決定を下す。
 今なお続いているイロコイ族のこのような知恵と実践は、民主主義の一つの原点としてアメリカ建国、国際連盟国際連合にも影響を与えたと言われているだけあり、本書は示唆に富んだ内容なのだ。


 どうしても、もう一度読んでみたくなって、また、今月始めから再読し昨日やっと読み終わった。
 540ページほどの部厚い本を、読み終わってすぐに再読したくなったことなど、いままでにはなかった経験。それくらい、この本は僕にとって知的好奇心を刺激してくれた書籍。

 この本については2度ほどブログに記載しているが、改めて今回は訳者の星川淳さんが巻末に書いている「訳者あとがき」を引用しながら紹介したい。

◇訳者・星川淳さんは、この書籍との出会いと、翻訳し終わった時の心境をこのように記している。
「原書で厚さ五センチ近く(しかも特大のペーパーバック版で!)のこの本をはじめて手にしたときも、それから二年半ほどたって邦訳を終えたいまも、不思議な胸騒ぎがする。ひょっとしたら途方もないものに出会っているのではないかという驚きと、ありうるはずがないという疑い――その二つが入り混じって、なぜか心臓が高鳴るのだ。」

◇では、この書籍はどの様な成り立ちなのか
「一八一〇年、イロコイ連邦オナイダ族に属する一人のうら若き女性が重大な決心をした。その名はツィリコマー(明るい春)、二五歳。幼くして治療師の才能を示し、一七歳のときに手当てした老人からは、消えゆく口承史の一端を託されて七年間にわたる伝承を受けていた。」
アメリカ合州国建国まもないこの時代、ヨーロッパ系入植者の圧力により伝統的な先住民社会は激動期に突入していた。北東部沿岸地域の多くの部族は先祖伝来の土地を追われ、西へ西へと悲しい民族移動を余儀なくされる。同時にキリスト教への改宗を迫られ、精神的にも大混乱がはじまった。合州国建国当時、強大な勢力を誇ったイロコイ連邦でも、オナイダ族出身の宗教改革者ハンサムレイクがキリスト教と伝統的信仰との折衷を説き、支持を広げつつあった。」
「そしてついに、部族全員の協議により、古来の伝承をきっぱりと捨ててハンサムレイクの教えを受け入れる日が来た。だがそれは、一族の来歴を記憶する伝承者もろとも火に投ずることさえ意味していた。」
「決定を聞いたツィリコマーは、協議の席を立つとロングハウスの祭壇へ歩み寄り、口承史にかかわるワンパム・ベルト(記録帯)と聖包を取り上げて、そのまま足早に外へ出た。命が惜しかったのではない。正しい来歴を守ろうとしたのだ。部族の者たちがあとを追ったが、彼女は顔見知りのクエーカー教徒の家に身を寄せ、馬車の荷台に隠れて西のイリノイ州へ逃げのびたという。」
「それから五世代後の一九九三年、ツィリコマーの子孫がたんねんに受け継いだ口承史を英語で出版した。それが本書である。」

モンゴロイドユーラシア大陸からベーリンジア(エーリング陸橋)を渡り北米へ渡った民族を調べていた星野淳さんは本書との出会いをこのように書いている。
「そのときの衝撃は想像いただけるだろう。あると期待はしていたけれど、そんな期待をはるかに超えるスケールとディテールの記録が、ズッシリとした重みの物語に結実していた。」
モンゴロイド一万年、いや〝出アフリカ〟の記憶とおぼしき最古のエピソードまで含めれば十万年以上の大いなる旅路が、まさに実録の形で語り伝えられてきたというのだ。当然、最初は驚きとともに創作を疑った。本当にしてはあまりにも出来すぎている。しかし、読み進むにつれ偽作では片づけられない奥ゆきや真実味も伝わってきた。」

星川淳さんは、英語版の著書であり、この口承史を引き継いでいるイロコイ族の系譜をひくポーラ・アンダーウッドさんに会い、「偽作によって名声を求めるような人柄とは思えなかったし、本書について私が用意していったさまざまな質問や疑問に対する答えからは、創作では考えにくい深い一貫性・整合性を感じとることができた。」と確信する。

◇こんな経緯で日本語版となった本書に、星川さんは、次の様なメッセージを受け止めている。(本書が刊行されたのは1998年)

「われわれ日本人とも血を分ける先史モンゴロイドたちが、ベーリンジア越えの物語を思い出させようとする意志のようなものが感じられた。」
「たぶん、われわれもいま大きな橋を渡ろうとしているのだろう。モダン(近代)の大陸からポストモダン(脱近代)の原野へ——核の脅威、山積する地球環境問題、人間の社会と精神の崩壊、そして環境ホルモンによる種存続の危機まで、もしかしたらわれわれの前に横たわる〈海辺の渡り〉は、水没寸前のベーリンジアよりもっと狭く、険しく、渡りおおせる成算の少ない橋かもしれない。」
「だからこそ、二〇世紀末というこの正念場に、無数の祖先たちが見えない手を差しのべてくれるとは考えられないだろうか。いや、励ましは過去だけでなく未来からも届いているかもしれない。本書の物語からは、遠い過去と遙かな未来を結ぶ人類の集合的な祈りが立ちのぼるようだ。思い出せ、心にとどめよ、われわれがどんな苦難を生きのび、何を学んできたかを。秘められてきた本当の歴史から、こんどの危うい橋を渡りきる勇気と知恵と力を汲み取ってほしい、と―。」

 縄文以前の古代人が、自分たち全員が知恵を出し合う「節度ある話し合い」の知恵を編み出し、「子どもたちの子どもたちの子どもたちのために」新たな安住の地を求める旅。
 その長い長い旅路で、厳しい自然と、他民族との数々の出会い。生きる糧としての猟と栽培(カボチャや豆類やトウモロコシなど)を育み、生きる術の多くを学び蓄積していく。その過程が物語としても実に面白く展開し、興味津々、読み進めることが出来る。


 ぜひ、一読(僕は2度読み)を、お薦めする書物である。

 

◇蛇足になるが、今宵は11月の満月。
 アメリカ先住民たちは、毎年11月頃になるとビーバーの毛皮を目的に、罠を仕掛けていた。 そのことから、11月の満月をビーバームーンと呼ぶようになったそうだ。
 この月を、古代のアメリカ先住民たちも、五大湖の畔で見ていたのだろうか。