三重出張と文庫『月神』のおしゃべり

三重県へ日帰り出張
 今日の三重県への出張は、昨日急きょ決まった。
 朝10時から研鑽会だというので、朝5時に起きて、駅まで妻に送ってもらって、新横浜駅6時18分の新幹線に乗る。
 連休中で混んでいると思って切符は昨夜のうちに確保していたのだが、ホームに上がって切符を確認すると、何と「のぞみ1号」だ。
 のぞみ何号か、などと、いつも気にしていないが「のぞみ1号かあ〜、1号なんて乗ったことあるかなあ〜」と、ちょっと嬉しくなる。
       

 新幹線車窓から望む、今日の富士山は、ちょっと靄がかかっていた。
      
      

 9時40分に関西線の新堂駅について、ナカモトさんに迎えに来てもらって、研鑽学校事務局へ。
 昼まで研鑽学校事務局で研鑽会をして、午後から春日山実顕地交流館で別の研鑽会をして・・・。
 研鑽会終了後、豊里実顕地に帰る息子に、関西線の亀山駅まで送ってもらって東京に戻ってきた。


葉室麟著の文庫『月神
 今日の出張車中で読んだ本は、読みかけていた葉室麟の文庫本『月神
       
 幕末から維新後の激動の時代の、あまり取り上げられることがない福岡藩の志士の物語だ。
 物語の前半「月の章」は、幕末の福岡藩で攘夷派として活躍しながら、志半ばで処刑された月形洗蔵の生きざまの物語。
 後半の「神の章」は、その洗蔵の従兄弟で、維新後に北海道で集治監(監獄)建設をして初代典獄(監獄の事務をつかさどる官吏)となった月形潔の物語だ。

 「月形家の者は夜明けとともに昇る陽を先導する月でなければならん」と、日本の夜明けである幕末・明治の激動の時代に、日の当たる表舞台に登場する薩長藩士でなく、影の部分に生き、明治の時代を支え続けた男の物語なのだ。
 僕らが知っている維新の志士たち。その後の日本を創り上げた名の知れた明治政府の主要人物。それとは違う、時代の流れを見損なってしまった藩の、その藩士ということで時代の歯車から弾き飛ばされたが、それでも時代を創る役割を見つけて、裏舞台に命を燃やし生きた、こんな人たちが無数にいたのだろうと、読後に暫し考えてしまった。
 最後に、月形潔が典獄を辞職して、北海道を去る前に、自分は「なすべきことをなせた」かどうかと、妻の前で自問するのだが、その時の妻の言葉が、物語のすべてを語っている。
 ─「木々の根は地中に隠れて見えませんが、根がなければ幹や枝は伸びず、葉も茂ることがなくまして花は咲きません。あなたは根の仕事をしたのだ、とわたしは思っております。」─
 

 蛇足になるが、
  「月形町」をネットで調べたら「北海道樺戸郡月形町」が出てきた。
  そこの「歴史」欄には、確かに次のように記されている。
  1881年、樺戸集治監設置。初代典獄(所長)月形潔。月形村設置。
  町名の由来は、樺戸集治監の初代典獄(所長)、月形潔の姓から。