有機農業者の久松達央著『キレイゴトぬきの農業論』

 Amazonでの、この新書の内容説明では、
 ─「有機農法なら安全で美味しい」「農家は清貧な弱者である」「農業にはガッツが必要だ」─ 日本の農業に関する議論は、誤解に基づいた神話に満ちている。─
 このように書かれている。
 確かに、この本を読み終っての感想をひと言でいうならば、日本農業に対して何気なく持っているイメージが、いかに根拠のないものだったかを気づかされる。
 農業生産者だけでなく、農産物を扱っている流通関係者、さらには農産物を日々食べているだけの人も、一読すれば、何か認識を新たにするものが多々あると思う。
           
 僕たちが多かれ少なかれ持っている農業や有機栽培に対しての認識を、明解に正し、その根拠を分かりやすく、農業実践者となって感じたことから説明しているので、説得力を持って読ませてくれる。
 30歳で輸出営業マンから脱サラして就農した著者は、農業に憧れて就農する人の多くがそうであるように「目的としての有機農業」を選んではじめたが、実際に農業を「業」として営み、それを継続するために、今は「手段としての有機農業」を実践しているのだと言う。
 だから著者は、有機農業者でありながら農薬も否定してはいない。美味しい野菜をつくる上で慣行農業をも否定していない。
 著者自身の、考えあっての「手段として」の有機栽培を選択しているのである。
             
 著者はこの本で、有機農業のイメージ否定から始まって、有機栽培とは何か、美味しい野菜とは何か、虫や雑草との向き合い方、放射能風評被害の観方、さらには日本農業や農家に対しての一般的な認識の誤解、農業保護政策への疑問と問題などを、分かりやすく解明し、最後は「こんな面白い仕事はない」と農業という職業を位置づけているのだ。
 それら一つ一つ、納得できる内容なので紹介したいのだが、それは本書を読んでいただくとして、有機農業に対するイメージ否定だけを紹介すれば、下記のような内容だ。

 <神話1=有機だから安全>
 農薬を使った慣行農法が極端に危険だとは言えない。
 「無農薬は安心だ」と言う人がいるが、「安全」と「安心」は別の観念である。 
 <神話2=有機だから美味しい>  
 美味しさの3要素は、栽培時期(旬)と、品種と、鮮度で決まる。
 けして、有機栽培であることが美味しさを決めるのではない。
 有機栽培が美味しいと思うのは、ごく一部の要因でしかない。
 「人間は脳で食べている」ので、美味しさの大きな要素は違うところにある。
 <神話3=有機だから環境にいい>
 有機栽培の資材として使われている物でも、栽培では自然にやさしいそうだが、その製品製造過程までみたら、二酸化炭素の排出データからも、環境保全とは言えないものもあることを、実例をあげて紹介している。
 そして、環境保全目的の有機農業にも疑問を投げかけている。


 とにかく、食べ物や農業を考えたい人には、一度読んでみることをお薦めする。