三浦しをん著『まほろ駅前番外地』を読む

 この小説は、三浦しをん直木賞受賞したまほろ駅前多田便利軒』の続編として書かれたものだ。
 舞台となっている「まほろ市は、東京都南西部最大の町で神奈川県との境に位置する」とあるように、僕が住んでいる町田市だ。
 前作の登場人物も再度登場するし、町田駅周辺の描写に「あそこだな」って思ったり、今回はさらに、終戦直後の町田駅前が語られていたり、僕にとってはかなり興味を持って読めた。
           
 このまほろ駅前番外地』も、駅前で便利屋を営む主人公・多田と、高校時代の同級生で居候の行天という青年の便利屋稼業の物語なのだが、そこに舞い込んでくる仕事は、どこか奇妙で、きな臭い依頼。それの便利屋の仕事を通して、さまざまな人間模様が繰り広げられるのが、前作の『まほろ駅前多田便利軒』同様、感動ものだ。

 巻末の解説で、翻訳家の池田真紀子さんは「三浦さんの作品にはときおりものすごく奥の深い一言がものすごくさりげなくはさみこまれていて、どきりとさせられる。」と書いているのだが、僕も同感だ。
 読んでいて、ちょっと立ち止まって、読み返し、ちょっと考えさせられる含蓄のある台詞や心の描写が出てくる。それが、三浦しをん作品の大きな魅力だ。
       
 今回は、〝愛〟〝愛情〟について、含蓄のある文章を2つだけ抜粋する。(ちょっと長くなってしまったら、どうぞご辞退を。)
◇抜粋その1・信用金庫の駅前支店に勤める中学の同級生の小夜と由里香
 2人はそれぞれ婚約者からダイヤモンドの婚約指輪をもらうが、由里香は0.45カラットで小夜は0.75カラットなのだ。そのやり取りの中で、
 ──ダイヤモンドの大きさや、婚約者のお披露目や、職場での過剰な気づかいや意地の張り合い、由里香の語ったすべてに、多田はたじろいでいた。それらが愛とはべつの次元にあると思えるからでなく、愛の本質を突いていると思えるからだった。
 金額や周囲の評価やプライド以外に、愛を計る基準があるだろうか。殉教者ですら、天秤に自分の命を載せて愛の重さを知らしめてみせる。
 最適な秤を見いだせていれば、多田の結婚生活ももう少しましな結末を迎えていたかもしれない。── 


◇抜粋その2・まほろ市郊外にすんでいる岡という老夫婦
 主人公・多田は、居候で相棒の行天を「家族関係でも恋愛関係でも友人関係でもない、強いて言って高校の同級生だったにすぎない相手」と言っているのだが、岡夫人は、
 ──友だちでも仕事仲間でも、なんでもいい。端からは、それなりに気が合っているように見受けられるのに、男のひとってたまに本当にばかみたいだ。つまらない意地の張りあいで、大切なことを見過ごしている。
 でももしかしたら、私も似たようなものかもしれない。岡夫人は思った。もはや夫と妻は男と女ではなく、あまりにも長く共に時間を過ごしたため、夫婦であるという事実すらも鈍磨してきている。けれど心のなかにある、灯火のようなものは消えないのだ。男女や家族や家庭といった言葉を超えて、ただなんとなく、大事だと感じる気持ち。とても低温だがしぶとく持続する、静かな祈りにも似た境地。──
 
 こんな描写にであうと、僕は立ち止まって考えてしまう。
 愛の本質って、愛の秤や物差しって、何だろう。
 齢(よわい)を重ねた夫婦って、その時の境地って・・・。

         

 蛇足ではあるが、この『まほろ駅前番外地』を原作としたTV放送が、2013年1月11日から始まる。楽しみだ。