文藝春秋3月特別号には、芥川賞を受賞した2作品が載っている。
そんなことで、時間あるときに読もうと思ってメルカリで入手したのは2月中旬。読みかけていた本もあってちょっと積ん読。
やっと昨夜、佐藤厚志さんの受賞作『 荒地の家族 』を読んだ。
芥川賞の選考委員の平野啓一郎さんは「震災後十年余を経て書かれるべくして書かれた作品」と書き、島田雅彦さんは「震災によって失われた土地や風景、コミュニティの再生に取り組む主人公の苦闘のルポルタージュである。人は己が無力を感じながらも、絶望 的状況にひたすら耐え、誠実を尽くそうとするその態度によって救われることもある。 それを態度価値というのだが、本作のテーマはこれに尽きる。」と書いている。
東日本大震災は2011年3月11日、12年を迎えようとしている。
僕の中でもあの大津波の災厄記憶はだいぶ風化しているが、実は被災2週間後にヤマギシの生産物をワンボックスカーに満載して、仙台市の知人家族と、知人宅の近隣の人たちにも届けたことがある。
知人宅はかろうじて津波から免れたのだが、知人が案内してくれた海岸付近は壮絶な風景だったことは、いまでも覚えている。
あの時の風景を思い出しながら、この『 荒地の家族 』を読んだ。
ちょっと内容に触れると、
主人公は仙台郊外に住む40歳の祐司。津波で独立したばかりの造園業の商売道具を全て失った。家族は無事だったが、生活のために何でもやって生活を取り戻そうとしているときに、インフルエンザを悪化させて3歳の子供を残して妻が亡くなる。
その後再婚したが、流産のショックから立ち直れず後妻は出ていってしまう。
そんな主人公・祐司は、不器用ながらも子育てをしながら、妻を失ったのは自分のせいだと思いながら、失われた生活を取り戻そうとしている。
そんな東日本大震災の災厄にもがき苦しむ男、災厄に遭遇した人にしか分からない葛藤の日々をリアルに描かれている物語だった。
読んでいて、心痛む日々の展開が重くのしかかる。
主人公のその日々を、著者はこんな表現で鋭く描く。
「海と対峙すると苦しくなった。
海や空を見て苦悩を小さく感じるどころか、むしろいかに自分が虫けらと変わらず、この世で火花のように刹那に存在する取るに足らない命かという事実をこれでもかと痛感させられ、頭が狂いそうになる。
怒ったり、悲しんだりしたところでどうにもならない災厄が耐えがたいほどに多すぎて、右にも左にもいけず、ただ立ち尽くすほかない日が続いた。穴があった。どれだけ土をかぶせてもその穴は埋まらなかった。底が見えず、地獄まで続いている。飛び込んでしまえば楽だという囁きを聞きながら、祐治は無駄と知りながら土をかぶせ、穴を埋めようとした。それは無限に続くと思われた。」
読む者にも、心に重く、あの大震災の爪痕が残る作品だった。
僕のパソコンのアルバムにも被災風景が残っていた。