作家・半藤一利さんが亡くなった

 『日本のいちばん長い日』などの著作で知られている半藤一利さんが亡くなったと、朝のニュースで知った。

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 半藤さんの書籍は何冊か読んでいる。もちろん、『日本のいちばん長い日』の本も読んだし、それを原作とした映画も観た。


 ブログにも何回か半藤さんのことを書いた。
 追悼の意味から、過去に書いた半藤さんに関するブログの記事を再録する。

 

◇2018年5月に書いたブログから
 半藤一利さんの『 歴史と戦争 』を読み終えた。

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 本書表紙カバーの裏に『 幕末・明治維新からの日本近代化の歩みは、戦争の歴史でもあった。日本民族は世界一優秀だという驕りのもと、無能・無責任なエリートが戦争につきすすみ、メディアはそれを煽り、国民は熱狂した。過ちを繰り返さないために、私たちは歴史に何を学ぶべきなのか。「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」「戦争の恐ろしさの本質は、非人間的になっていることに気付かないことにある」「日本人は歴史に対する責任というものを持たない民族」――八〇冊以上の著作から厳選した半藤日本史のエッセンス。』
 とあるように、半藤さんの多くの著書の中で語っている言葉を拾い編纂した〝半藤一利語録のダイジェスト版〟である。
 僕も含めて、第二次世界大戦後に生まれ、戦争を知らない世代が多くなった今、ここに収録された半藤さんの言葉一つひとつを、じっくりと噛みしめなければならないと思いながら読んだ。

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 今月、5月15日は、沖縄の日本返還(昭和47年)から46年を迎えた日だった。
 ちょうどその日、僕は本書113ページの次の様な半藤さんの言葉を読んでいた。


沖縄県民斯(カ)ク戦ヘリ 』
 昭和二十年六月六日付けの、沖縄方面海軍特別根拠地隊司令官の大田実少将が発した海軍次官あての長文の電文を読むたびに、粛然たる思いにかられる。これほど尊くも悲しい報告はないと思われるからである。・・・沖縄県民が総力をあげて軍に協力し、敵上陸いらい戦いぬいている事実を、大田少将はくわしく記して、最後にこう結んだ。
沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ 」
 軍は沖縄防衛戦において、共に戦い共に死なん、と呼号して、非常にも県民を戦火の中にまきこんで戦った。そのときに非戦闘員にたいするかくも美しい心遣いを示した軍人のいたことを誇っていい。
 そしていま、はたしてわれわれは沖縄の人々に「特別の高配」をしているであろうか。 『昭和史残日録1926−45』

 

◇2019年2月に書いたブログから
 今朝の朝日新聞朝刊の社会面に、作家で『 日本のいちばん長い日 』『 昭和史 』などの著書が多数ある半藤一利さんが『「沖縄」を考える 』で、次の様なことを述べていた。

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 ─「本土の防波堤」発想いまも ─ 
 昨年は明治維新150年。今年は、琉球王国が解体されて沖縄県が設置された年から、つまり、沖縄が近代日本国家に組み入れられてから140年です。
 日本の近代化の動機は「攘夷(じょうい)=外国を追い払うこと」でした。ペリーの米国艦隊が浦賀に現れ、攘夷論が吹き荒れます。でも、列強と戦う力がない。(中略)長大な海岸線を守りきれないから、外に「防波堤」が必要ということで、手始めに併合されたのが琉球でした。(略)
 太平洋戦争末期の沖縄戦。作戦を立案した陸軍参謀に戦後インタビューしましたが、彼は戦闘を長引かせた結果、県民の4人に1人が亡くなったことについて、全く悪びれていませんでした。当然なんです。本土決戦の時間稼ぎのための「防波堤」なのですから。(略)
 沖縄に米軍基地の重い負担を負わせても仕方がないと考える。今も「防波堤」の発想です。(略)
 沖縄戦で全滅した海軍守備隊の司令官が、最後に東京に打電した有名な言葉があります。「沖縄県民斯(か)く戦へり 県民に対し後世特別の御高配を」。なのに私たちは今も、沖縄を犠牲にし続けている。辺野古の映像を見るたび、いつもこの言葉を思い出します。