半藤一利著『 歴史と戦争 』を読む

 5月の半ば、ヤマボウシの白い花が清々しい。
 我が家のロビー(2階)から窓越しに見下ろすヤマボウシに、僕は毎朝、心癒やされる。
        
         

半藤一利さんの『 歴史と戦争 』を読み終えた
        
 表紙カバーの裏に『 幕末・明治維新からの日本近代化の歩みは、戦争の歴史でもあった。日本民族は世界一優秀だという驕りのもと、無能・無責任なエリートが戦争につきすすみ、メディアはそれを煽り、国民は熱狂した。過ちを繰り返さないために、私たちは歴史に何を学ぶべきなのか。「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」「戦争の恐ろしさの本質は、非人間的になっていることに気付かないことにある」「日本人は歴史に対する責任というものを持たない民族」――八〇冊以上の著作から厳選した半藤日本史のエッセンス。』とあるように、半藤さんの多くの著書の中で語っている言葉を拾い編纂した〝半藤一利語録のダイジェスト版〟である。
 僕も含めて、第二次世界大戦後に生まれ、戦争を知らない世代が多くなった今、ここに収録された半藤さんの言葉一つひとつを、じっくりと噛みしめなければならないと思いながら読んだ。

 今月、5月15日は、沖縄の日本返還(昭和47年)から46年を迎えた日だった。
 ちょうどその日、僕は本書113ページの次の様な半藤さんの言葉を読んでいた。
沖縄県民斯(カ)ク戦ヘリ 』
 昭和二十年六月六日付けの、沖縄方面海軍特別根拠地隊司令官の大田実少将が発した海軍次官あての長文の電文を読むたびに、粛然たる思いにかられる。これほど尊くも悲しい報告はないと思われるからである。・・・沖縄県民が総力をあげて軍に協力し、敵上陸いらい戦いぬいている事実を、大田少将はくわしく記して、最後にこう結んだ。
沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ 」
 軍は沖縄防衛戦において、共に戦い共に死なん、と呼号して、非常にも県民を戦火の中にまきこんで戦った。そのときに非戦闘員にたいするかくも美しい心遣いを示した軍人のいたことを誇っていい。
 そしていま、はたしてわれわれは沖縄の人々に「特別の高配」をしているであろうか。
                     『昭和史残日録1926−45』