対談 『「薩長史観」を超えて 』 を読む

 東京新聞朝刊に、近現代史に詳しい作家の半藤一利さんと、ノンフィクション作家の保坂正康さんの『「薩長史観」を超えて 』というテーマの対談が4回連載で載っていた。
 このテーマにちょっと興味があったので、切り抜いて読んだ。
 今年は明治150年。
 その明治維新を主導した薩摩・長州側の視点で語られる明治史観は、本当はどうだったのか。それが、それ以降の大正、昭和、平成にいたる日本の歴史にどう影響したかを問う対談だった。 
        

 
◇対談の第一回掲載には、このように書かれていた。
 『米国の仲介で薄氷を踏む形で講和に至った日露戦争について、半藤さんは大正、昭和の軍人に正しい戦史が伝えられなかったと指摘。司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」では「正しい戦史は資料として使われなかった」と語り、人気小説がノンフィクションと思われていることに懸念を示した。「太平洋戦争は維新時の官軍(の地域出身者)が始めて賊軍(の地域出身者)が止めた。これは明治百五十年の裏側にある一つの事実」と強調した。』


◇具体的に、どんな内容なのかと連載を興味持って読んだら、

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」については、
 半藤さんは『日露戦争後、陸軍も海軍も正しい戦史をつくりました。しかし、公表したのは、日本人がいかに一生懸命戦ったか、世界の強国である帝政ロシアをいかに倒したか、という「物語」「神話」としての戦史でした。海軍大学校陸軍大学校の生徒にすら、本当のことを教えていなかったんです。』と指摘し、海軍の正しい戦史は、三部つくられ、一部が皇室に献上、残り二部が太平洋戦争の敗戦時に焼却され、司馬遼太郎は物語の海戦史を使うしかなく、日露戦争の実態と全然違う内容になったと論じている。
 また、最終回掲載で、半藤さんは、
 『(太平洋戦争開戦当時の)海軍中央にいたのは全部、親独派です。親米派はおん出されている。親独派はほとんどが薩長出身者です。ほんとなんですよ。陸軍も親独派はだいたい薩長です。戦争をやめさせた鈴木貫太郎関宿藩三国同盟に反対した元首相の米内光政は盛岡藩、元海軍大将の井上成美も仙台藩で、薩長に賊軍とされた地域の出身者です。日米開戦に反対した山本五十六も賊軍の長岡藩。賊軍の人たちは戦争の悲惨さを知っているわけですよ。だから命をかけて戦争を終わらせた。太平洋戦争は官軍が始めて賊軍が止めた。これは明治百五十年の裏側にある一つの事実なんですよ。』と述べている。

 また、保坂さんは第二回の対談掲載の中で、『日清戦争で国家予算の一・五倍の賠償を取り、軍人は戦争に勝って賠償を取るのに味をしめました。日露戦争でも南樺太など、いくつかの権益は得ました。』と指摘し、日露戦争後、多くの軍人や官僚は論功行賞で勲章や爵位をもらったことをあげ、さらに、昭和天皇の側近だった木戸幸一に取材し『なぜ、東条や陸海軍の軍事指導者はあんなに戦争を一生懸命やったのか』と質問したら、木戸は『彼らは華族になりたかった』と答えたことを紹介している。なんとも国家運営の指導的立場の人間の思惑としてはやるせない内容である。

 天皇を軍事の大元師としてトップに置き、国民に真実を伝えず、リアリズムに欠ける軍国国家として太平洋戦争まで流れてしまった日本の近現代史を、二人はこのように考察していた。