いま、真藤順丈さんの沖縄を舞台にした小説『 宝島 』が直木賞をとって話題になっている。僕も年末年始に読んで、感動した物語だった。
沖縄には、次男夫婦も住んでいる。
宜野湾市の普天間基地の滑走路延長線上の真下に住んでいる。
3年前の秋に孫の顔を見に沖縄を訪れたときに、頭上をけたたましい爆音を出してオスプレイが飛んでいるのにも遭遇した。パイロットの顔が認識できるくらいの高度だ。
そんなことで、辺野古への基地移設問題、それの県民投票の行方などには、大きな関心がある。
◇今日、僕が注目した新聞記事
今朝の朝日新聞朝刊の社会面に、作家で『 日本のいちばん長い日 』『 昭和史 』などの著書が多数ある半藤一利さんが『「沖縄」を考える 』で、次の様なことを述べていた。
─ 「本土の防波堤」発想いまも ─
昨年は明治維新150年。今年は、琉球王国が解体されて沖縄県が設置された年から、つまり、沖縄が近代日本国家に組み入れられてから140年です。
日本の近代化の動機は「攘夷(じょうい)=外国を追い払うこと」でした。ペリーの米国艦隊が浦賀に現れ、攘夷論が吹き荒れます。でも、列強と戦う力がない。(中略)長大な海岸線を守りきれないから、外に「防波堤」が必要ということで、手始めに併合されたのが琉球でした。(略)
太平洋戦争末期の沖縄戦。作戦を立案した陸軍参謀に戦後インタビューしましたが、彼は戦闘を長引かせた結果、県民の4人に1人が亡くなったことについて、全く悪びれていませんでした。当然なんです。本土決戦の時間稼ぎのための「防波堤」なのですから。(略)
沖縄に米軍基地の重い負担を負わせても仕方がないと考える。今も「防波堤」の発想です。(略)
沖縄戦で全滅した海軍守備隊の司令官が、最後に東京に打電した有名な言葉があります。「沖縄県民斯(か)く戦へり 県民に対し後世特別の御高配を」。なのに私たちは今も、沖縄を犠牲にし続けている。辺野古の映像を見るたび、いつもこの言葉を思い出します。
◇3年前に沖縄を訪れた時のPhoto
沖縄伝説の精霊・キジムナーが宿るといわれるガジュマルの樹木。
ガジュマルの樹の下で寛ぐ人。
11月末であったが、花々が咲き乱れていた。
嘉手納基地の横にある道の駅の最上階(4階)は展望台となっていて、基地内が見わたせた。