中脇初枝著『 神の島のこどもたち 』を読む

 真藤順丈さんの『 宝島 』(直木賞受賞作)を読んだ以降、沖縄を題材にした作品をもう少し読んでみようと思って、先日は桐野夏生さんの『 メタボラ 』を読んだが、今回は、沖縄本土ではなく、戦後ここも、アメリカ政府の統治下におかれた沖永良部島を舞台とした小説、中脇初枝さんの『 神の島のこどもたち 』を読んだ。


 沖永良部島は、沖縄よりも20年早く、1953年に日本に復帰しているのだが、それまでの、島民の悲願である本土への復帰活動を繰り広げた時代の物語だった。

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 この物語の主人公は、沖永良部島の高校生。
 戦後、沖縄がアメリカ軍の統治下だったことは知っていても、奄美群島もその統治下にあって、日本復帰に向けて激しい住民運動があったこと、日本との交易を絶たれ、鹿児島に渡るのも密航となり、沖縄の様にアメリカの物資が流入することもなく奄美群島が文字通りの飢餓状態で、蘇鉄を食べるという蘇鉄地獄と呼ばれた時代があったこと、先日の「辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票」の時に、宜野湾市役所前で若者がハンガーストライキし話題になったが、この復帰運動の中でも沖永良部島は全島上げてハンガーストライキをしたこと、などなど、そんな史実を僕はまるで知らなかった。


 そのような史実があったことに驚きながら読み進めていくと、戦時中から戦後のアメリカ統治下の歴史の流れに翻弄される島民の心情が書かれた、次の様な場面に出会って胸を打たれる。

 奄美群島のうち、北部3島の日本復帰が決まりそうだという報を聞き、沖永良部島が取り残されてはならないと、島民の復帰運動は激しくなる。その中で、「沖縄と同一視されたら、沖永良部島の日本復帰は叶わない」と、沖縄式風習を排除する呼び掛け。
 集会において、婦人会や青年団の会長、区長などは、島言葉を使わないことはもとより、帯を前で結ぶこと、頭に物を載せて物を運ぶこと、髪を銀のかんざしで留めるなどの沖縄式はやめようと呼びかける。
 そんな呼びかけと、それに盛りあがる中、一人のじゃーじゃ(老人)が異を唱える。
「あなたがたは沖縄式を排除排除とおっしゃるが」「沖縄は、わたしたちにとって、親島じゃないのかね!」「えらぶにとっても、与論にとっても、沖縄は親島じゃないのかね!」「自分かわいさに、子が親をすてるような、親の恩をありがたいとも思わないような、そんな考えでよいのかね!」
 それに対して、集まっている人々の中から「しかたがないよ!」の声が上がる。
 主人公の高校生は、自分たちがこの言葉を、戦争中たびたび聞き、言い合いながら戦争を続けたことに思い当たる。
 戦争だから、しかたがない。あちゃ(お父さん)やみー(兄さん)を戦地に送らなくてはいけないことも、しかたない。戦死の知らせにも「しかたない」という言葉を何度も繰り返して言い合った、これは「あきらめの言葉」なのだと。
 そして、このようなことで日本復帰していいのだろうか。アメリカの統治のままでいいわけないけれど、親島の沖縄と袂を分かって、日本になっていいんだろうか。それは本当にあたりまえのことなんだろうか。「本当にわたしたちにとって幸せのことなんだろうか」と、葛藤しながら復帰に向けた活動をするのだ。
 
 この中脇初枝さんの『神の島のこどもたち』は、戦後の歴史に翻弄された奄美群島の人々の実態を知り得る、一読に値する物語であることは確かだ。