東峰夫著『オキナワの少年』を読む

 この作品は、1971年に直木賞を受賞した作品である。

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 舞台となるのは、1950年代前半の「コザ」の街である。
 現在は、沖縄市の一部となっているが、戦後、日本で唯一のカタカナ名の行政市名で、米軍基地が全面積の7割近くを占め、米軍は「キャンプ・コザ」と呼んでいたところだ。

 そのために、米軍許可のAサイン・バーと呼ばれた飲食店が林立する占領下の沖縄においても一番特殊な街であった。
 そんな街で、サイパンから引き揚げてきた家族の生きるための商売は、やはり米兵相手の飲食店である。

 

 ぼくが寝ているとね、
 「つね、つねよし、起(う)きれ、起(う)きらんな!」
 と、おっかあがゆすりおこすんだよ。
 「ううん・・・・何(ぬ)やがよ・・・・」
 目をもみながら、毛布から首をだしておっかあを見あげると、
 「あのよ・・・・」
 そういっておっかあはニッと笑っとる顔をちかづけて、賺(すか)すかのごとくにいうんだ。
 「あのよ、ミチコー達(たあ)が兵隊(ひいたい)つかめいたしがよ、ベットが足らん困(くま)っておるもん、つねよしがベットいっとき貸らちょかんな? な? ほんの十五分ぐらいやことよ」
 ええっ? と、ぼくはおどろかされたけど、すぐに嫌な気持が胸に走って声をあげてしまった。
 「べろやあ!」
 うちでアメリカ兵相手の飲屋をはじめたがために、ベットを貸さなければならないこともあるとは・・・・思いもよらないことだったんだ。

 

 これは、この物語の書き出しの一節であるが、主人公の少年がおかれた現実的な環境描写である。
 さらに、少年と母親はこのようなやり取りをする。

 

 「こん如(ごと)うる商売は、ほんとに好(す)かんさあ」
 「好(す)かんといっちん仕方あんな。もう喰(く)う業(わざ)のためやろんも、さあはい!」
 いかにもの喰う業のためやってん、好かんものは好かん!」
 泣きたくもなってくるさ。にんげん喰わんがためには、どんなことでもせんならん場合であろうか。

 

 生きるためには仕方がないという大人と、純粋に生きようとする少年の葛藤。
 少年は、山羊の草を刈り、井戸から水を運び、家計を助けるために新聞配達もする。
 米国統治下という政治状況の中で、沖縄の生々しい現実が描かれており、「生きるため」に現実的正当性を持ってしまう大人達の価値基準と、その中で、少年は純粋さを保ちながら、したたかに、力強く生きる姿が描かれている。
 物語の後半は、少年は、この現実から脱するために、本屋で見つけた「ロビンソン・クルーソー」から得た知識を実行に移そうとする。
 この現実を否定し、政治的状況の理不尽を免れるために、無人島への船出という冒険を夢みるのだ。
 そして、無人島で暮らすための物品を用意し、嵐の晩に決行する。
 暴風の中を、停泊中のヨットに忍び込み、少年は新しい世界へ旅立つのである。
 その最後の少年の心境は次の様に描かれて、物語は終わる。

 

 風は海から島にむかって吹いていた。台風の目がとおりすぎ、吹きかえしになれば島から海へ風むきが変わるんだ。その時ロープをきられたヨットは湾を吹きだされて、ひろい外海へのがれさるだろう。強い吹きかえしであればあるほど、はやくにげられるというものだ。
(沖へ出たら帆をあげよう! ああ、はやく吹きかえしがこんかなっ!)
 ナイフをにぎりしめてうずくまってると、ヨットの底をドッドッドッドっと潮がぶちあたり、ゆっすりあげ、流されていくのがわかったよ。それは足を伝わって、ぼくの体の芯にもつきあげてきて、フッフッフッフッとするようなはげしい武者震いとなってつつみこんできた。

 

 この脱出劇が、成功するかどうかは定かでないが、新しい世界に向かって挑戦する若者の、いつの時代でも普遍的とも思える行動と心境に、なぜか感動する物語となっている。