沢木耕太郎著『 人間砂漠 』を読む

 この沢木耕太郎さんの『人間砂漠』は、1980年(昭和55年)に刊行された著書で、取り上げられているのも1970年前後の事件のルポルタージュ8編で、沢木さんの徹底した取材と現場体験にもとづいた作品集である。

    

 ここに収録されている8編は


・「おばあさんが死んだ」(1年以上も兄の遺体と共に過ごした餓死寸前の老女の足跡を辿っていく話)
・「棄てられた女たちのユートピア(千葉県館山市にある買春婦のための養護施設「かにた婦人の村」に住む人達と共に暮らし、話を聞き、住民それぞれをルポ)
・「視えない共和国」沖縄本島よりも台湾が近いという日本最西端の与那国島の戦後のの密貿易や台湾漁民との交流や、そこで生きた人たちの話)
・「ロシアを望む岬」(ロシアの警備船に拿捕されながらも、したたかに漁を続ける釧路の漁船と漁師達の本音をルポ)
・「屑の世界」(東京都江戸川にあるくず鉄や再生紙を扱うリサイクル業者・仕切場で働きながら、そこの仕組みと、そこでの営みと、人々の人間模様の話)
・「鼠たちの祭」(相場師たちの壮絶な人生の話)
・「不敬列伝」(戦後「不敬罪」は廃止されたが、皇室に対して「不敬」を犯した者達を訪ね歩き、不敬に駆り立てた真実と、その後の人生の話)
・「鏡の調書」(ある天才詐欺師の老女の行動記録と、そうさせるに至った彼女の生き様の話)

 これらの徹底してのルポは実に内容が濃い。
 民俗学者宮本常一の調査研究に匹敵するような徹底した取材にもとづいて書かれていると感じるほどだ。

 その丹念な取材は対象者に温かい眼差しを向けながら真実を捉えようとしている。
 文庫巻末「解説」の最後に、小説家の駒田信二氏は次のように書いている。
──「事実は小説よりも奇なり」ということばがある。しかしまた、事実が伝えるものはあくまでも一つの事実でしかなく、その事実をもとにして普遍的な真実を表現するのが小説(フィクション)である、ともいわれる。沢木さんのこれらの作品は、それでは、なんだろう。文芸のジャンルとしてはルポルタージュでありノン・フィクションである。しかも、これらの作品が、小説を読むよりもはるかに強い感動を読者にあたえるのはなぜだろう。沢木さんはおそらく「事実は小説よりも強し」と信じているにちがいない。その事実を、いわゆる実話として語るのではなく、すでに再三述べたようにきびしさとやさしさとを以て、事実をゆがめることなく、しかも作品化しているのである。これらの作品が小説よりも読者の心をうつ所以はその点にあると断言してよかろう。――

◇僕が特に興味を持って読んだ作品
・「棄てられた女たちのユートピアの「かにた婦人の村」には、そこの運営を知っていた人の紹介で、一昨年春の東京案内所を高田馬場から移転する際に、不要になった食器や備品を送ってバザーなどに活用してもらったので、興味を持って読んだ。
・「視えない共和国」与那国島での戦後の密貿易の話は、真藤順丈直木賞を受賞した小説『宝島』と、奥野修司の「ナツコ 沖縄密貿易の女王」を読んで印象に残っていたので、それと繋がることもあって、より興味を持って読んだ。
・「屑の世界」は、ファーム町田店の段ボール回収を長年やってくれているHさん老夫婦を思い浮かべながら読んだ。
 実はHさんは先月で85歳となり、足腰も不自由になっているし、今月で運転免許も返上したので若いリサイクル業者に変わったのだが、イートインコーナーのラーメンやうどんをよく食べてくれた常連客でもある。僕も顔見知りで何度か話したことがあるが、昔はスーパーなどの経営もやっていて「この仕事は40年やったよ」と話す笑顔に、その歳月を感じさせていた。