昨日から6月がスタート。
その昨日は、月初めということもあって高田馬場の案内所に行って仕事をする。
先週よりは各段に、電車も街中の人の出も多かった。
3蜜を避けるためには、まだまだ不要不急の外出は自粛が必要なのだろうと実感。
そんなことで今日は、ステイホーム。
朝7時からファーム町田店の開店準備に入って、午前中はテレワークで会の新聞「けんさん」の発行内容を考えたり、メールをしたり・・・。
午後からは、3月末に町田駅近くに新設開館された「泰厳歴史美術館」に行く。
この美術館は、開館してすぐに、緊急事態宣言が発せられ、それ以降、臨時閉館していたが、今日の6月2日から再開されたのだ。
◇「泰厳歴史美術館」
この美術館は、戦国時代から江戸初期に至る古文書や書画、茶道具など、特に織田信長に関する史料が多く展示されていることで話題になっている。
入館してすぐに目に飛び込むのは、絢爛豪華な織田信長によって建造された安土城の天守閣・五層と6層を原寸大で復元した造形物。
これが5層の内部。
これが6層の外観。
6層の天井画と壁画。
安土城5層の復元造形物の周りには、豊臣秀吉が母の大政所の病気平癒を祈願して、大徳寺子院の総見院西に創建した天瑞寺の客殿を飾る、狩野永徳作と言われる障壁画の一部が想定復元されていた。
また、2階には熱田神宮に寄進したという信長塀も再現されていた。
先ず、この美術館の1階と2階から見る絢爛豪華な復元展示物にビックリ。
(ここまでは、撮影が許可されていた)
3階には、信長をはじめ、信長の一族や家臣、信長と同時代に活躍した戦国武将の書状が展示してあった。
それら織田信長と同時代の武将の朱印状など書状には、その内容の口語文訳が付いていて、それが読み応えのある内容だった。
例えば、
織田信長が滝川一益に瀬田川の橋修造の際に、大工の動員を命じた書状や、嫡男の信忠宛に、祝宴の食材として鶴を捕らえて届けろと命じた文章。
さらには、信長と上杉謙信や、武田信玄との書状。
豊臣秀吉が朝鮮出兵(慶長の役)に先立ち、加藤嘉明宛てに、加藤清正や小西行長など諸将の配置や注意事項をきめ細かく示した3~4mの朱印状。
また、加藤嘉明が慶長の役で戦功の証しとして、秀吉に首の代わりに55人分の鼻をそぎ落として送ったことに対する朱印状。
実に興味がわく内容の書状群だった。
書状以外にも、この時代の大名たちの肖像画や、4階には、刀剣、甲冑、火縄銃や、長久手合戦や大阪夏の陣の屏風図、豊臣秀吉の陣羽織などが展示され、この3階・4階だけで多くの時間を費やした。
5階には、信長所持の茶の湯の道具、千利休の茶道具の茶碗、茶杓など数多くが展示され、さらに、6~7mの狩野元信四季花鳥図や、千利休の茶室・待庵も再現されていた。
くしくも、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で得た予備知識と、そこに登場の染谷将太が演ずる織田信長を思いながら鑑賞できたことも良かった。