知らない世界に触れる喜び

 今日は、午前中は高田馬場の案内所で仕事。
 午後から、埼玉県のヤマギシの村・岡部実顕地に出張。
 

◇今日の「折々のことば」
 今日の朝日新聞朝刊の「折々のことば」で、哲学者の鷲田清一さんは、こんな「ことば」を紹介していた。
         

 『つまり、知らないことがあること自体を知らなかったわけだ。 戸田山和久

 鷲田さんは、このように解説する。
 『人は学ぶ前に、つい、こんなの勉強して何になるの、と問う。が、学ぶことの意味は、じつは学んだ後でしかわからない。世界には、自分が知らない領域が「想像をはるかに超えて広がって」いることをこれまでろくに知らなかったと思い知ること、つまり「無知の無知の知」こそ〈教養〉というものだと、哲学者は言う。エッセー「とびだせ教養」(「ちくま」4月号)から。(鷲田清一)』


◇本から得られる楽しさ
 最近、こんな言葉をかけられた。
 「よく、本を読んでいるね。」と・・・。
 「ボケ防止ですよ。」と、僕は答える。
 でも、ほんとうは、本を媒介にして、僕の知らない世界が「想像をはるかに超えて広がって」いることに触れる快楽が、たまらないからだ。
 先日読み終えた『本音で語る沖縄史』でもそうだったし、今読み進めている恩田陸の『蜜蜂と遠雷』でも、僕の知らない(体験したことがない)音楽の世界に触れて、僕は時が経つのも忘れながら、時には電車やバスを乗り越しながら、それを味わっている。