沖縄についてのおしゃべり

 昨日、仲村清司さんが書いた『本音で語る沖縄史』について書いた。
 いろいろと沖縄の歴史上のエピソード、中国(明)や日本(薩摩藩)との関係、琉球処分と沖縄における廃藩置県などなど、今まで僕が認識していなかったことが多く、今夜もページをめくり、反芻的読後を楽しんでいる。
       
 今夜は時間があるので、その中から、「そうだったのか、面白いなあ、なるほど・・・」と、興味を持って読んだページを、思い出す範囲で読み直して、何点かを要約して記してみたい。(時間が許す範囲で)
 

◇「朝貢」とは立派な貿易であった

 「朝貢(ちょうこう)」とは、貢ぎ物を明(中国)に納めて服従を誓うことで、そのことによって皇帝から国の王として認められることを「冊封(さっぽう)」と言う。
 この「朝貢」に対して、中国(明)は威厳をみせるために、朝貢をしてきた国の貢ぎ物とは比較にならない高価な返礼品を贈るのが慣例。
 琉球の王達も積極的に明に進貢し富を得ていた。
*単なる服従するための貢ぎ物でなく、政治的からくりの「海外貿易」であったと書かれている。なるほど・・・。


◇初代琉球王「舜天」は源為朝(みなもとのためとも)の子という伝説

 モンゴル帝国創始者チンギス・ハーンが、源義経(みなもとのよしつね)であるという伝説は、聞いたことがある。
 実は、沖縄にも、琉球王国の初代琉球王「舜天」が、源為朝(みなもとのためとも)の子であるという伝説がある。
 実際に琉球最初の正史『中山世鑑』に記されていて、沖縄本島北部の「運天港園地」には、為朝が島流し先の伊豆大島からぬけだし、琉球に上陸した地としての碑が存在し「源為朝公上陸之趾」と刻まれている。
 ただし、この碑は、大正11年に建立されたもので、碑を建てることに尽力した東郷平八郎の名が刻まれている。
*史実として信用できない伝説であると書かれているが、沖縄にもこのような伝説があることが面白い。


◇黒船のペリーは琉球に5度寄港している

 18世紀末から19世紀に入ると、列強諸国のアジア進出にともなって、欧米の船が琉球に頻繁に寄港する。
 ペリーの任務は日本の開国であるが、その交渉拠点に選んだのが琉球
 なんと、ペリー艦隊の乗組員による女性暴行事件も発生している。
 現在のアメリカと沖縄の関係は、このときから始まっていたと言える。
*僕は、ペリーの黒船来航による開国交渉の舞台は、江戸湾浦賀であるとは知っているが、江戸幕府との交渉にあたって、琉球がそのベースキャンプ的拠点になっていたとは知らなかった。


琉球民謡の「時代の流れ」

 琉球民謡界の草分け的存在の嘉手苅林昌の代表作品に「時代の流れ」という唄がある。
    唐ぬ世から 大和ぬ世   大和ぬ世から アメリカ世
          ひるまさ変わたる くぬ沖縄

 「中国の時代(冊封時代)から、大和(日本支配)の時代、大和の時代からアメリカ(米軍統治)時代、よくよく変わるものだよ、この沖縄は」という意味。
 大国に翻弄され続けた琉球・沖縄の歴史が唄となっている。
*確かに、中国の冊封時代から、薩摩藩の武力侵攻、明治政府の琉球処分、そして戦後の米軍統治、日本復帰しても今なお存在する米軍基地。沖縄の歴史が的確に民謡となり唄われていると思った。