木内昇は直木賞作家であるが、僕は、幕末の木曽山中の藪原宿を舞台に、櫛職人の女性の人生を描いた『櫛挽道守』を読んでから、注目したい作家の一人に入れている。
その木内昇の作品・『光炎の人』(上)(下)の新刊が、今月始めに店頭に並んだので、早速、読んでみた。
物語は、明治から昭和初期を舞台にした一人の技術者の悲しき一生を描く。
その物語の展開といい、そこに流れているテーマといい、なんて重厚なのかと感じながら、やっと読み終わった。
そして、読み終わった今、単に感動とは言えない重苦しいものが、どっしりと残っている。
主人公は、徳島の山村の貧農の生まで、口減らしのために小学校も途中でやめて職工となり、「電気」の魅力に取りつかれ、寝る間も惜しんで独学苦学の日々を送る。
その向上心は、貧しい自分の置かれた世界からの脱出であり、家族、親戚、友人はもとより、恋人との繋がりをも捨て、学歴まで詐称して官営の軍需工場の技師となり、通信機の開発に全身全霊を傾ける。
それは、新しい技術に取り憑かれた技術者の性(さが)というか、業(ぎょう)というか、人々を幸せにするための技術革新への歩が、知らず知らずのうちに、時代のうねりに巻き込まれながら、単なる技術追及を目指すだけの狂気となっていく。
そして最後は、人々の幸せとは対極にある戦争にも加担し、思わぬ結末となって、自分の技術だけを信じて、ただひたすら夢だけを追い求めて生きた技術者の一生は終わる。
それにしても、木内昇の取材力は凄い。
電気や通信の専門的知識とその機器の開発過程を、ここまで綿密に触れるのかと思うほどに書きながら、リアルある主人公に描いている。
僕自身、若い時分に、電気知識もかじったし、某電機会社で半導体開発にも関わったから、難なく読み進めることができたが、それがなかったら途中で挫折していたかも知れない。
また、逆に、そんな自分だからこそ、主人公の心情を、多かれ少なかれ理解出来るし、企業戦士とか、技術屋バカと、自他ともに認め許されていた当時の自分の中に、主人公と同じ思考や行動の片鱗が存在していたであろうと蘇って、ドキリとさせられることもあって、最後まで読んでしまったのかも知れない。
最後に、僕の勝手な解釈で、蛇足になるかも知れないが、著者は、科学技術発展の過信と傲慢が、原発事故という悲劇を生んだ今だからか、登場人物の一人・すでに引退した老技術者に、次の様な事を言わせている。
『郷司さん(主人公)、ひとつだけ覚えておいていただきたい、研究者は、こと科学技術に関与する者は、ご自分の意思や理念、理想をけっしておざなりにいてはなりません。(中略)個々がしっかり立っておらぬと、科学というものはおかしな方向に走り出すものですから』