じっくり読み進めていた本。免疫学者の多田富雄さんと、遺伝学者の柳澤桂子さんの往復書簡『いのちへの対話 露の身ながら』を読み終わった。
◇実に内容の濃い書籍だった。
脳梗塞で右半身不随となって不自由な生活の多田富雄さんと、31歳で発病し原因不明の難病の痛みに耐えながら生活する柳澤桂子さんの、〈生きるということ〉に対するお二人の姿勢に感動し、いろいろな分野の幅広いテーマについて意見を交わす内容に、心地良く知的好奇心を刺激された。
多田さんは、一茶の句『露の世は 露の世ながら さりながら』が好きだと言う。
それが、タイトルの「露の身ながら」になっているのだと思うが、半身不随という不自由な身になって「さりながら」を実感したと思われることを次の様に書いている。
『こんな体になっても、生きることには変わりない。いやこうなったからこそ、生きるのに全力を尽くさなければならないと言い聞かせています。
どうしても失いたくないのは、生きているという実感です。実は、病気になる前の自分を考えると、本当に生きる実感を持っていたのだろうかと、自信がなくなることがあります。本当は、前から生きるという実感を失いつつあった。半ば病んでいたということに気付いたのです。病気になって、初めて生きることの大切さを確かめた気がするのです。』
また、柳澤さんも、七転八倒するような痛みと付き合いながら、今を生きることに挑戦している。
そんなお二人が、現代社会の問題点を指摘し、これからの社会のあり方を提言しているのだ。
◇「事実その中で生きていく強い自分を見出している人」
この本を読み終わったときに、佐川さんのブログ「自己への配慮」を読んだら、自分を縛っている観念からの解放というか、「事実」その中へ飛び込んだときの、強い自分の発見を、自分の体験も語りながら「事実その中で生きていく強い自分を見出している人」として書いていた。
http://k3sagawa.blog.fc2.com/
なぜか、困難な中で手紙を交わし続けたお二人に、僕は繋がるものを感じた。
◇教育について
最後に、お二人が「教育について」意見交換していることを、ここに紹介して、この書籍を本棚に戻すことにする。
柳澤さんが、子供時代の情操教育の大切さを力説していることに対して、多田さんは「遺伝子の発現」という視点から、その大切さを補強している。
『教育は遺伝子の発現にあわせて行うべきだと私は思っています。昔は「読み書き算盤」といわれましたが、それは理にかなったことです。言葉の遺伝子、文字の遺伝子、数を数える遺伝子などは、幼児期に発現し、成人した後では消えてしまいます。(中略)理屈はある程度の年齢になってからのほうがよろしい。(中略)創造力が発展するのは、思春期、つまり中学生か高校生になってからです。そのころに新しい遺伝子が現れるときです。(中略)高等教育の目標、つまり新たな可能性を発揮させるには、この新しい遺伝子が働き出す時期を逃さぬことが肝要だと思います。(中略)ともあれ好戦的遺伝子、残虐性の遺伝子を、働かなくするには、幼児期の教育と、初等教育、情操教育が大切だろうと思います。困るのは、そんな教養を持たない大人のほうです。』
そして、教育の最終の目的は「引き出す」ことだと言い、
『では何を引き出すと言うのでしょうか。私は、人間の可能性の遺伝子が発現するのを、正しい時期に、正しい形で引き出すことが教育ではないかと思います。ゲノムの中には、人間の無限の可能性が秘められているはずです。音楽の才能も、数学の才能もみんなそこに隠されている。でもそれはすぐにはわからない。誰かが発見し、引き出さない限り、見えるものではないからです。それを発見し引き出すのが、初等中等教育です。その時期には、初めて発現する遺伝子が多いからです。引き出すためには、それを上手に発現させる条件を作る必要がある。私はそれがいわゆる「読み書き算盤」に相当する基本的な学力だと思います。』
このように論じている。
◇とにかく時間があったら、「お薦めの一冊」だということを記しておきたい。