免疫学者・多田富雄さんの「超システム」

 多田富雄さんと比較社会学者の鶴見和子さんの往復書簡『邂逅』
      
 専門的用語も出てくるし、基礎的知識にも疎い僕には、難しいなと思うところもあったが、気にせず読み進めることが出来たし、最後まで投げ出さずに読み終わらせてくれたあたりが、この著書の内容的凄さというか、示唆に富んだお二人の書簡の内容的魅力だったと僕は感じた。

 著書の冒頭に、
 多田富雄さんが言う〝超(スーパー)システム〟についての定義が、次の様に載っている。
『超(スーパー)システムは、要素そのものを自ずから作り出し、システム自体を自分で生成してゆくシステムである。要素も関係も初めから存在していたわけではない。多様な要素を作り出した上で、その関係まで創出する。作り出された関係は、次の要素を生み出し、それを組織化してゆく。組織化されたものは、そこで固定した閉鎖構造を作り出すのではなくて、外界からの情報に向かって開かれ、それに反応してゆく。反応することによって、自己言及的にシステムを拡大してゆく。(多田富雄「生命の意味論」より』


 この著書を読む前は、ピンと来なかったこの文章だが、読み終わって、改めてこの「スーパーシステム」についての定義を読んでみると、その言葉一つ一つがスッと心に入ったというか、この定義のイメージの広がりを感じた。


 この「スーパーシステム」という概念は、生命体、個体にとどまらず、組織や社会にも当てはまる考え方だと言う。


 そういう見方で、考えをめぐらすと、私たちが日々やっている実践と、その「スーパーシステム」概念が重なり合う。
 私たちは、このスーパーシステムの機能を、健康正常に機能足らしめるために、日々、研鑽という方法をもって、組織の運営から個々人の暮らしまでを営んできたのではないか。
 私たちの日常において、ヤマギシズムという考え方と、研鑽という方法があったればこそ、このスーパーシステムが曲がりなりにも途絶えることなく機能し、半世紀にわたりヤマギシの村(実顕地)が営みを継続してきたのではなかろうか。
 そんな思いに至った。
 そして、私たちは今も、このスーパーシステムの働きがより活発になるべく、日々研鑽を続けているのだ。
 過ぎ去った実態にしがみつくのではなく、多様な要素から創出された先端の実態に触れ、過去の継続からの保証による安定感より、無固定の中から生み出す安定を確信して、そのための研鑽と実践を繰り返している。


 今日もそのための時間を、惜しみなく費やしたのだと思った。